現代もっとも豊麗でまろやか、奥行きのある、まるでヨーロッパ文化を体現したかのような世界屈指のオーケストラ、オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団があと10日ほどで来日します。
今回、指揮をするパーヴォ・ヤルヴィに色々な話を伺いました。
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――今回がコンセルトヘボウ管への4度目の客演となりますか?
パーヴォ・ヤルヴィ(以下PJ):
そうですね、4度目です。
――コンセルトヘボウ管はあなたにとって、どのようなオーケストラでしょう?
PJ:
やはり世界的にみて最高のオーケストラのひとつです。そのようなオーケストラを指揮者できることは光栄かつ幸運なことで、彼らと共演することは、いつも驚くような音楽的体験となります。
――指揮する喜びを体験できる・・・素晴らしいですね。 一方でこうした厚い伝統をもつオーケストラに対してプレッシャーのようなものはありますか?
PJ:
いえ、プレッシャーはないです。いつもオーケストラと音楽的な理解を深めようと心がけています。それが楽しみでもあります。プレッシャーといったものは、実はどのオーケストラにも感じたことはないです。そうしたものはいい結果を出そうと思うような、自分の内側から起こることですよね。私の経験からいうと、いい結果は、音楽と人間を理解したときに達成できると思います。
――ではコンセルトヘボウ管のメンバーとオランダの聴衆とはいい関係を築いているんですね。
PJ:
とても忘れられない、いい経験もしています。なにしろ世界中で知られているほどの偉大なオーケストラですから。
――さて今回の共演で、ベートーヴェンの交響曲第4番とショスタコーヴィチの交響曲第10番を組み合わせますね。特に後者はNHK交響楽団のヨーロッパツアーでも演奏しました。
PJ:
はい、そうです。
――そしてベートーヴェンの第4番もドイツ・カンマーフィルハーモニーとの来日公演で指揮しています
PJ:
はい。
――ではこの2曲を組み合わせたことについて、ぜひ話してください。
PJ:
ベートーヴェンのすべての交響曲が傑作です。ベートーヴェンの4番は、おそらく第3番「英雄」や5番、7番や9番ほど演奏される機会が多くないかもしれませんが、たぶん私はすべての交響曲の中でも、ベートーヴェンが好きなんですね。古典的な交響曲とロマン的な交響曲の間にある新鮮さ、内容の濃さ、そこに興味が尽きないです。機知に富んでいて、とてもチャーミングです。ベートーヴェンを語るとき、“チャーミング”という言葉はあまり使わないでしょう? 力強いとか、逆に晦渋だとか、そう言うのではないでしょうか。しかし4番にはすべての魅力が詰まっているんです。緩徐楽章は途方もなく美しいでしょう?
そしてベートーヴェンの音楽的な着想は、ショスタコーヴィチに比べてとてもシンプルです。ショスタコーヴィチの作品の背景には、2つの世界観のコントラストがある。スターリンや戦争という、ソヴィエト連邦の現実についてショスタコーヴィチは音楽の中で語っているのです。ご存知のように、20世紀においてソヴィエトは非妥協的な非常に難しい問題を抱えていました。私はベートーヴェンとショスタコーヴィチを組み合わせることで、多様で異なる、コントラストをつけたプログラムにしました。ショスタコーヴィチはどっしりとして重く、とても力強い構造をもった交響曲で、それに対してベートーヴェンの4番は古典的で繊細な作品です。
――なるほど、よくわかりました。
さて、もう一つのプログラムでは、ワーグナーの《タンホイザー》序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番、ブラームスの交響曲第4番が演奏されます。
PJ:
こちらはある意味、とても伝統的なプログラムです。というのも、どれも名曲ですからね。このなかで演奏頻度が比較的少ないといえば、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番でしょうか。とても素晴らしい曲ですが、第1番や第3番、第4番ほど演奏されていませんね。この曲では非常な新鮮さがありますから、そういう意味でも私たちが演奏する意味があります。今回ソロを弾くラン・ランとは以前も、このピアノ協奏曲第2番を共演したことがありますが、彼は最高の演奏家です。この曲の新鮮さと喜びを見事に表現してくれるでしょう。
ブラームスの交響曲は、あらゆる指揮者とオーケストラにとって、目標のような曲です。とくに4番は建築物のように細部にわたり構造がしっかりと組み立てられていて、強い情感もこもっている。これは、ブラームスのどの曲にもいえることですが、演奏するのは容易ではありません。
《タンホイザー》はプログラムのオープニングに、まさにふさわしい曲だと思いませんか?
――すべての曲がコンセルトヘボウ管の得意とするレパートリーですね?
PJ:
そうです。古典派、ロマン派、20世紀、どの時代の曲も同じようにレパートリーとしてもっているオーケストラはそう多くありません。私にとってコンセルトヘボウ管を指揮することは、3つの時代にまたがるショーケースが与えられているという好機を頂いているようなものなのです。
――コンセルトヘボウ管がショスタコーヴィチをこれまで何回演奏しているかを数えてみると、400回を越えていました(コンセルトヘボウ管のwebサイトのアーカイヴを調べた)。第10番に関しては、これまでに6人の指揮者が演奏しており、あなたが7番目になります。
(コンセルトヘボウ管弦楽団の主なショスタコーヴィチ交響曲演奏記録はこちら)
PJ:
おー!そうなんですか。とても興味深いですね。
ショスタコーヴィチの交響曲は20世紀の鍵となる曲で、レパートリーとして外すことができないと私は思っています。コンセルトヘボウ管の音楽監督を長く務めたマリス・ヤンソンスさんは旧ソ連のラトヴィア出身だからこそ、ショスタコーヴィチを取り上げたということがあるかもしれません。コンセルトヘボウ管は、旧ソ連での生活経験のある指揮者たちのもとでも研鑽を積みましたから、ソ連の伝統を表現することに長けています。自分も旧ソ連エストニアの出身ですから、ソ連の伝統をよく理解していますしね。
――ショスタコーヴィチの交響曲は、20世紀のハリウッドのような映画音楽に通じる聞きやすさがあるように感じますが、残念なことに日本の聴衆のなかには、彼の音楽をグロテスクで演奏時間がとても長く、暗い曲を書く作曲家だと思っている人もいます。ショスタコーヴィチについてあなたはどう思いますか?
そういう方には、ぜひこのエピソードをお話したいと思います。
ショスタコーヴィチは10代の頃、映画館でサイレント映画に合わせてピアノを弾くアルバイトをして生活費を稼いでいました。当時のサイレントでモノクロの映画を思い出して欲しいのですが、そういう映画は音楽の伴奏を必要としました。すばやく変化する映像に音楽をつける能力を、ショスタコーヴィチは映画館で発揮したのです。映画は、様々な状況を表したシーン、登場人物の性格などによって音楽を瞬時に変える必要があります。そうした多くの要素が彼のピアノ協奏曲や交響曲にも反映されていています。ショスタコーヴィチは20世紀の作曲家のなかでも珍しく、機知に富んでユーモアのセンスがある作曲家で、暗い音楽があれば、喜びに満ちた音楽もある。そして「ばかげた」音楽も書いている。彼のバレエ音楽、ジャズ、ピアノ協奏曲に見られるように、とても創造の幅が広い作曲家なんです。ショスタコーヴィチの曲は暗くて重いだけだと思うのは、誤解です。彼が書いた多種多様な音楽に耳を傾けるべきでしょう。カンタータも3曲を書いています。陳腐な音楽も偉大な音楽も書いているのです。政府の要請にこたえて、仕方なく書いた曲もありますが、一方でショスタコーヴィチはぶ厚い音の層の中にユーモアを隠して盛り込んだ素晴らしい曲を書きました。そして文脈として当時のソ連の生活を知らないと、音楽を理解できないところがあります。オーストリアの生活を知らないとマーラーの音楽が分からないように。マーラーとショスタコーヴィチがどのような関係があったか、などもそうです。そうした複数の層をもつ、見事な音楽なのです。
――ショスタコーヴィチは古典的な様式を尊重していますね。
全くその通りですね。彼はあらゆる音楽を知っていたんです。クラシックの古典についても認識し、あらゆる形式の音楽をどう作品に用いるかを心得ていた。一般に、作曲家のある一面のみが受け入れられることがありますね? ベートーヴェンだったら難聴、マーラーならユダヤ主義、チャイコフスキーならセクシャリティに悩んだ、といったように。そうした一つのことだけでなく、それを作曲家の一部分として理解する必要があります。
――ショスタコーヴィチは10代に映画館でピアノを弾いていたということですが、ショパン国際コンクールにも出場しましたよね。
とてもいいピアニストでもあったんですよ!
(2019年9月26日 NHK交響楽団練習所にて 質問:KAJIMOTO)
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