NEWSニュース

2019/10/19 | KAJIMOTO音楽日記

●(再掲)華麗なるフィラデルフィア管のヒストリーを語る その2「オーマンディ編」


: 「フィラデルフィア」って、もちろん土地の名前なんだけどね、ギリシャ語で「兄弟愛」って意味なんだって。

C子: 音楽をやるオーケストラには、なんだか相応しい感じがしますね。

B男: 次の音楽監督になったユージン・オーマンディはどんな指揮者なんです?



: いきなりだな・・・ちょっと待ってくれよ。ストコフスキーって人は、あれだけのことをやるだけあって、天才肌の人だったもので、その分フィラデルフィア管とは少なからず摩擦があったみたい。そんな中、定期的に客演に来ていたのが若きオーマンディだった。人もいいし、凄みや閃きはないけど、ソツなくオケをまとめてくれる職人肌、ってあたりに「オーマンディ、安心するよな~」って雰囲気があったらしい。

B: で、次の音楽監督に決まったと。

: ストコフスキーが辞めることになって、そうなると団員たちは、やっぱりオーマンディなんじゃない?いちばん慣れてるしねえ、という感じで、なんとなくそこは決まったみたい。いや、彼の名誉のために言うと、いくらなんでもそこまで消極的理由ではなかったと思うが、全体の流れをみるとそのような展開に・・・。

: でも、それが42年もの長い間続いたんですよね?半世紀近く音楽監督を務める、って他に聞いたことない気がしますけど。

: コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を50年務めたメンゲルベルクに次ぐ記録かな。彼が就任時に入団したメンバーが、退任時に一緒に引退、なんてこともあったかもね。

B: どんな魅力があったんだろう?

: 魅力があったには違いないけど、それより出した「成果」だろうね。オーマンディはストコフスキーのようにカリスマだったり、ガムシャラに「新しい」ことをしようとしたわけではないけど、オーケストラの「よりよい音作り」という部分には全力を傾注した。そしてヴァイオリン出身の彼にはその資質があった。ミュンシュとかマゼールとか、最近でもアラン・ギルバートとか、ヴァイオリニスト出身の指揮者って、オーケストラの基になる弦楽セクションに、「こういう音で、こういう弾き方で」って具体的な指示ができるし、全体の音作りにはもってこい。

: なるほど~。

: あと、ハンガリー出身の指揮者って、オーケストラを鍛えるのが上手いんだよね。フリッチャイ、ライナー、セル、ドラティ、ショルティ・・・こういう名を出すと歴然としてるよな。ライナーやショルティのシカゴ響、セルが育て上げたクリーヴランド管・・・。
なんだろう?完璧への志向と情熱が並外れている、とでもいうのか。性格的には各々全然違うのだけどねぇ。

: 同様にオーマンディも「フィラデルフィア・サウンド」に磨きをかけた、と。

: そう。例えば弦楽器のボウイングによって、音の流れにわずかな継ぎ目が出るじゃない?それをなくして、より豊麗に響かせるために弦セクション内では各々自由なボウイングをさせるとか、そんなこともしたんだって。

B・: へぇ~。

: 結果、ストコフスキー時代よりさらに音は磨かれ、豊饒でなめらかな・・・これ、誰が言ったのだっけな?「艶出しワックスをかけたような」ツヤツヤな色っぽい音になっていったんだ。

: すごいですねえ。音の魔法だわ。

: あとは相変わらずの膨大なレパートリーとレコーディング。なにせどんな作曲家のどんな曲でもきちんとまとめられる名匠だから、レコーディングでも出来不出来の間違いがなく、レコード会社にはとっては、フィラデルフィア管の音の魅力と合わせて好都合だよね。そして逆にレコーディングが多いことで、一段と音作りに密度が増していった。やっぱり録音って、テイクを重ねたり、皆がぎゅっと集中するからね。

そうして時が流れ、1970年代の全米トップ3は50年代とうって変わって、大躍進したシカゴ響とクリーヴランド管が入ったんだけど、依然フィラデルフィア管は唯一その地位にいることになるんだ。この稀有なサウンドのおかげでね。当時、フィアデルフィア管に対抗できるスーパー・オーケストラはベルリン・フィルだけと言われたくらいだ。



B: でも、こう言っちゃナンですけど、これだけの輝かしいオーケストラなのに、フィラデルフィア管だけじゃなく、アメリカのオーケストラ全体が日本でイマイチ人気が落ちる気がするのはなぜだろう?

: そう?今でもそんな感じがする? 昔に比べれば、私は随分そのあたりも変わってきた気がするけどな。
ただね、それも故なきことではないかもしれない。特に日本人や、当のアメリカ人たちにとって。

B: というのは?

: 「西洋音楽」というヨーロッパ発祥の音楽の土俵に立てば、やはり「ヨーロッパに追いつけ、追い越せ」という姿勢になるよね。フィラデルフィア管の音というのは、そういう意識から生まれた典型なのかもしれない。評論家の故・福永陽一郎さんは「音響第一主義の名技性」なんて言葉をプログラムに書いていた。時代だよねえ・・・。
でも、フィラデルフィア管は、そう丁度ロイヤル・コンセルトヘボウ管のような音を目指していたと思うのだけど、その成果はまさに「アメリカのコンセルトヘボウ管」と言えるようなすごいことだと私なんかは思うけど。
フィラデルフィアに住んで何度も共演したラフマニノフはこの楽団を「オーケストラのストラディヴァリウス」と呼んだそうだし、同郷の大指揮者ジョージ・セルはクリーヴランド管とのリハーサル中、そのラフマニノフの「パガニーニ狂詩曲」の、あの例の甘美な中間部で「フィラデルフィア管のような音を出して」と言ったそうだ。

: それはすごい!



: さて、円満な性格で長い時間じっくりとフィラデルフィア管の円満な音を作り上げたオーマンディは、1938年から80年までの42年もの任期を終えるときも実に円満な態度をとった。それは後任選び。

B: ムーティですね。

: そう。自分とは音楽も性格も違う、若いイタリア人のリッカルド・ムーティに、フィラデルフィア管を託せる「何か」を見出し、早くから「彼が後任だ」と公言していたんだ。最後の何年間かは彼をかなり多く客演させ、スムーズに大きな摩擦もなく、音楽監督は交代した。それこそフィラデルフィア管の音のように滑らかに。

B・: うまい!(笑)

: 世代交代、首長交代でドロドロの醜聞になるような現代社会に聞かせてあげたいような、聡明な叡智だよね。
(続)



特設サイト http://www.kajimotomusic.com/philorch2019/

【チケットのお申し込みはこちらまで】
 

PAGEUP