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2019/06/09 | KAJIMOTO音楽日記

●アルミンク&王立リエージュ・フィル 来日直前!―― リエージュ・フィルの歩みと、その受容




音楽監督クリスティアン・アルミンク率いるベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演まで、あと3週間あまり。

ところでベルギーという国が、隣のフランスやドイツ、オランダと比して、イメージがわかない、という方が多いかもしれません。ブリュッセルにはEUの本拠があるな、アントワープではかつてオリンピックが行われたな、チョコレートといえばベルギー!そういえば小便小僧もそうだな・・・など諸々あるとしても。
そしてそのベルギーの古都リエージュにある、このリエージュ・フィルについても同様でしょうか。

このたび、公演等で配布しているチラシにもお書きいただいた音楽評論家の満津岡信育さんが、公演プログラム冊子用にリエージュ・フィルの歩みやそのファンの受容についてのエッセイをご執筆して下さいました。それを抜粋して、ここに掲載させていただきます。
ぜひこの「隠れた魅力」いっぱいのオーケストラについて知っていただけたら幸いです。


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「広大なレパートリーと、それに相応しい様式感
――古くから熱心な好楽家に愛されたリエージュ・フィルへの期待」

満津岡 信育(音楽評論家)


 ベルギーのリエージュという街の名を目にして、最初に思い浮かべるものは、人によって、随分と異なるはずだ。ベルギーワッフルだ、という人も居れば、「メグレ警視シリーズ」シリーズの作者ジョルジュ・シムノンの生地として記憶している方もいらっしゃるに違いない。クラシック音楽であれば、セザール・フランクとウジェーヌ・イザイがリエージュの生まれであり、さらに遡れば、18世紀後半から19世紀初めに活躍したグレトリーの生地でもある。

 ベルギーのフランス語圏を代表するオーケストラであるベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団(以下リエージュ・フィルと略)が、指揮者のファルナン・キネによって創設されたのは、1960年のこと。当初の名称は、リエージュ管弦楽団であったが、英語による資料では、時にリエージュ交響楽団と記されているものもある。1964年から1967年にかけては、マニュエル・ロザンタール(1904~2003)が常任指揮者を務めている。ラヴェルの数少ない直弟子の一人であり、作曲家でもあったロザンタールは、フランス音楽で香気あふれる指揮ぶりを披露した名匠であるが、オーケストラ・ビルダーというタイプではなく、筆者は残念ながら、このコンビによる録音に接したことはない。



 現在のリエージュ・フィルが、極東のレコード・ファンにも、その名を知られるようになったのは、1967年から1977年まで楽団を率いたポール・シュトラウスの在任時であろう。シカゴで生まれたポール・シュトラウス(1922~2007)は、ワルツ王の一家とも、リヒャルト・シュトラウスとも血縁関係はなかったが、ミトロプーロスのアシスタントを経て、主にヨーロッパで指揮活動を行った御仁である。
 このポール・シュトラウスの在任時代に、当時のリエージュ管は、メジャー・レーベルであるEMIからLPをリリースして注目を集めることになる。なかでも、チッコリーニのソロによる《交響的変奏曲》&交響詩集、そして、かつては、〈プシシェとエロス〉のみが単独で演奏されるケースが多かった交響詩《プシシェ》全曲など、フランクの作品の演奏は、一集の本場物として好評を博したことが知られている。さらに、ヴュータンのヴァイオリン協奏曲第5 番& 第7 番(ソロはヴェルテン)があり、ベルギーのお国物以外では、ブラームスの《ハンガリー舞曲集》全曲と『ポピュラー行進曲集』が発売されていた。両者とも、CD時代に入ってからも、再発売されているが、後者は、1曲目に配されたヨハン・シュトラウス父の《ラデツキー行進曲》から、ウィーン風の味わいこそ薄いが、明るくのびやかな音楽づくりが印象的だ。サン=サーンスの《フランス軍隊行進曲》やシューベルト(ギロー編曲)の《軍隊行進曲》、ピエルネの《鉛の兵隊の行進曲》など、重心の高さと明晰さを兼ね備えた洒脱なサウンドで、名うての親しみやすい旋律をセンス良く歌わせた名演が収録されている。このポール・.シュトラウスとのコンビは、EMI以外にも、ルクーの交響的習作第2 番や《リエージュ民謡による対位法的幻想曲》のレコーディングも残している。



 続くピエール・バルトロメー(1937年生まれ)は、1977年から1999年までオーケストラを率い、その間、1983 年にはリエージュ・フィルハーモニー管弦楽団と改称。このコンビは、自国ベルギーの作曲家の作品やフランス近代の秘曲の数々をレコーディングして、熱心なディスク愛好家の間で注目を集めるようになった。ベルギーのフランス語圏で生まれ、早世したルクーの管弦楽曲集をはじめ、ヴィエルヌの交響曲やトゥールヌミールの同第6番など、マニアックな楽曲を取り上げ、単なる紹介に終わることなく、すばらしい演奏を繰り広げていたのが記憶に残っている。バルトロメーは、作曲家でもあったので、シューベルトの死により、未完のまま残された楽譜を基に、自らオーケストレーションを施した交響曲第10 番(D.936A/708A)も、マニアの間で話題となったものだ。(編注: リエージュ・フィルは1990年にバルトロメーと初来日)



 その後も、ルイ・ラングレ、パスカル・ロフェ、フランソワ=グザヴィエ・ロトなど、上り坂にある指揮者を迎え、2010年には、“ベルギー王立”の名を冠している。そして、2011 年には、創立50周年を記念して、さまざまなレーベルへの録音を集成する
形で、CD50枚組の『創立50周年記念ボックス』が発売されたことからも、リエージュ・フィルが、いかに積極的なレパートリー展開を図ってきたかがうかがえるというものだ。
 2011年に音楽監督に就任したアルミンクとも、既にフランクの作品集をはじめ、何点ものレコーディングを世に問うているが、録音から判断する限り、フランス的な明るさとオランダ的なまろやかさが程良くブレンドされて、演目や指揮者の解釈に応じて、手応えに富んだ演奏を展開している。
 この2月に、今回の来日公演に向けて記者会見を行ったアルミンクによれば、リエージュ・フィルは、ベルギーのフランス語圏を代表する楽団であり、さらに、地理的に「実はドイツ語圏にも近い」とのこと。戦前に、若き日のカラヤンが音楽総監督を務めていたアーヘンまで車で20~25分ということだ。そして、アルミンクの口から、リエージュ・フィルのサウンドについて、「フランス風のフレージングとドイツ風の深くてほの暗い音色の双方から影響を受け、独特な味わいがあります」と答えていたのが印象的であった。また、ベルギーの地は、HIP(歴史的情報に基づく解釈)の実践を早くから行ってきており、ベルギーの音楽院では、ピリオド楽器の奏法を学んできた音楽家も多いだけに、演奏する楽曲にふさわしい様式感を身に付けた楽団員が揃っている点も特色だ。それは、オーケストラのサウンド面で、フランスとドイツやオランダのいいところ取りを可能とするだけではなく、きわめてフレキシブルな演奏スタイルに対応できることを意味し、その分、オーケストラを率いる指揮者の知見と力量が問われるということでもある。


(全文は公演会場で販売されるプログラム冊子に掲載)


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