来年元旦、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを指揮することが決まっているアンドリス・ネルソンス。ボストン交響楽団の音楽監督に兼任し、今ノリにノッているマエストロが昨年新しいカペルマイスターとなった、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(GHO)との、今回が初お目見え。
サントリーホールの初日公演を聴きました。
写真は現地でのものです
のっけから話を最後に飛ばしますが、アンコールで演奏されたメンデルスゾーンの序曲「ルイ・ブラス」でのGHOの音! メンデルスゾーンが遠い昔この楽団のカペルマイスターを務めていたことが即座に感得できるような、彼らの「素」の音・・・と言ったらミもフタもないかもしれませんが、いえ、むしろそれだからこそメイン・プロの2つのロシア作品に対し、ネルソンスもGHOも誠実にその真髄を、作曲家の在りように即して忠実に導き出そうとしていた、という証左になっていた気がします。逆説的に。
2曲とも曲が終わった瞬間、大歓声が上がりました。
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最初に演奏された、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。
どこまでも澄んで濁りのない音と、どんな難所でも余裕があるくらいクリア。冴えに冴えわたるバイバ・スクリデのヴァイオリンにまず圧倒されます。(この手の内の入り方、なるほどと思ったのですが、昼間の記者会見で2人が語ったところによると、「ラトヴィアでは自分たちが若い頃、ロックやポップスを聴くことが禁じられ、その代わりに私たちはショスタコーヴィチを聴いていた。彼の音楽は私たちにはむしろ親密な音楽なのです」とのこと。またこの協奏曲をスクリデとネルソンスはGHO以外のオケとも何度も共演しています)
このスクリデのソロを支えるGHOの音が、例えばスケルツォ楽章などで重くてキレがいまひとつとなるのはご愛敬で(フランスやアメリカの楽団ではなく、彼らはドイツのそれだということを感じます)、しかしそれが第1楽章や第3楽章の深遠な音楽では逆に強みになります。闇の中、強圧的に人を押しつぶさんとするほどの精神的重みといったものが、ピーンと張りつめたピアニシモとともに強く表出されました。そこでは生と死の境界が曖昧に感じられて怖くなるくらい・・・なにかこう、息もつかせぬ音楽に圧倒されるひと時となりました。
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後半のチャイコフスキー「第5交響曲」は同じロシア音楽といっても、ショスタコーヴィチとは全然違った世界。それをネルソンスとGHOは教えてくれます。こちらは幻想と強烈な憧れが華麗な音色で描かれる世界。
重厚に轟くGHOの誇る弦楽器群と、前からこんなに色彩が濃くて豊かだっただろうか?という管楽器が交錯し、チャイコフスキーの甘美な旋律をより流麗に、より息の長い太いものにしていきます。聴いているこちらの身体が押し流されそうな力強いメロディ・ラインです。しかしフルートにしろ、クラリネットにしろ、そして第2楽章でのホルン・ソロ!今どきの言葉を使えば「神って」ました。酔いました。
GHOがここまで熱狂的に身体中を震わせながら熱く音楽に没頭して弾く姿は壮観です。しかしこれは確信をもってそう思うのですが、ネルソンスのシンプルでひたむき、真っすぐな熱さ・・・音楽を心から愛し、知的に細部に工夫を与えるにしろ(強弱やテンポの動き、声部間のバランスなど、丁寧にリハーサルをした痕跡が随所に見られます)、彼の根底にある人間性がオーケストラを触発しているのだ、と。だからこそ、老舗GHOは伝統と由緒あるカペルマイスターの座にネルソンスを選んだのだろう、とその演奏から納得させられました。
そしてこちらも熱くなりました。私事ながら、昔アマオケで演奏していた自分には、このチャイコフスキーの第5(アマオケをやる方々は皆大好きな曲だと思います)のこうした演奏を聴いて冷静ではいられません(笑)
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話が冒頭に戻ります。アンコールの前にネルソンスは聴衆に語りかけました。
いや、語りかけるというより、胸にある感動を言葉にしたくてたまらない、といった風に。
「アリガトウ・・・自分は日本語はできないけれど、このオーケストラはスペシャルであり、またいつも感じるが、日本の聴衆の皆さんは実に集中して演奏を聴いてくれるスペシャルな方々です。音楽は言葉を超えて人に伝わるのです」(←大雑把に簡略した意訳で恐縮です)
ネルソンス&GHOの公演、明日は再びサントリーホールでオーケストラの伝家の宝刀ブルックナーの交響曲(第5番)、そしてショスタコーヴィチは6/1兵庫公演で、チャイコフスキーは6/2大阪公演でそれぞれ再び披露します。
どうぞお聴き逃しなく!
(A)