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2017/10/07 | KAJIMOTO音楽日記

●リッカルド・シャイー&ルツェルン祝祭管弦楽団・日本公演初日レポ





11年ぶりに来日したルツェルン祝祭管弦楽団(LFO)。スタッフの一人である私、そのときのアバド指揮の演奏も聴いていますし、そもそもこの欧州オーケストラ界におけるオールスター・メンバーが上手くないわけもないのですが、果たして今回もべらぼうに上手かった。とりあえずはそれに心とらえられて「上手い!」という言葉しか、初め心に浮かんでこなかった有様です。そのうち、その上手さによって何が起こり、どうその対象となる音楽が深められていったのかが見えるようになりましたが。

そうしたところから言いますと、ただでさえ名指揮者であるリッカルド・シャイーが水を得た魚のように、ますますひと回りもふた回りもすごい巨匠に見え、後半のストラヴィンスキー「春の祭典」などは、ヴィルトゥオーゾ・オーケストラを前提に書かれた精密さ、荒ぶる自然の如き激しさが両立し、複雑だけど実はシンプル、といった音楽に感じられ、このLFOで聴くにはもってこい。作曲者が生きていたら「そう、これだよ!」と言ったのか、はたまた「こんな上手くやってくれるとイメージ狂うんだよ」と言ったのか?
どんな難所(と私たちが思っているところ)もスイスイ、バシッと決まる。それも音楽的に。驚くべき技量をもつ人たちです。フリードリヒのトランペット、ライエンのトロンボーン、そしてカーフスのティンパニの威力!


さてここからは、かつてアマチュア・オーケストラをやっていたこのいちスタッフとしては、「こんな風に演奏出来たらどんなによかっただろう・・・」と思ったところを、前半のベートーヴェンからいくつか。

「エグモント」序曲でコーダに入る少し前、ホルンと木管で、パンパンッパ、パンパンッパ、と繰り返すところ。普通はホルンに響きがマスクされて木管が聴こえなくなるのですが、今日は完全なバランスでこれらが溶け合って、なおかつ木管の一人一人が聴こえるという驚き。

「第8交響曲」の第1楽章展開部、「タータラタタ」とファゴット(ラッツ)→クラ
リネット(カルボナーレ)→オーボエ(ナバロ)→フルート(ズーン)がその度音域を上げながら何度かリレーする箇所。こんなにキレイに一本につながる様はそうは聴けません。彼らがインタビューで話していた「かつてアバドが、室内楽をやるようにオーケストラでも演奏することが大事、と何度も言っていて、それをLFOで叩きこまれた」という言葉はここで強く生きている、と。(恥ずかしながら木管を吹いていた私、まさしくここはこんな風に吹きたかった・・・)

同じ「第8交響曲」の第3楽章トリオ。ビセンテ=カステジョらによる柔らかく立ち昇る、アルプスの情景が目に浮かぶようなホルンの合奏に、カルボナーレの美しい音色とカンタービレが絡む。ここは夢見心地でした。

そしてフィナーレ。あのただでさえ細かい動きの弦楽器群を、膨大な熱いエネルギーでムチをしならせ、ものすごいテンポで走らせるシャイー。そのテンポにギリギリついていき、決して弾きこぼさないプレーヤーたち。両者のせめぎあう緊張感の何たるスリリングなこと。
また猛烈な弦楽器の勢いと厚いフォルテ(コントラバスは8本。ミュンヘン・フィルのグレンダとチェロのC.ハーゲンに率いられた低弦の分厚さ。戦車がスポーツカーのような疾走感を!)の中を、冴え冴えと貫いてくる木管の名人たちの見事さ。


・・・と思い出すがままに部分部分のことを書いてしまいましたが、10/7(土)サントリーホール、10/8ミューザ川崎シンフォニーホール、10/9京都コンサートホールでは、それこそ網の目のようなスコア、一人一人が上手ければ上手いほど鮮やかに映えるR.シュトラウスの交響詩によるプログラムです。
類稀なる(そして強い絆で結ばれた)ヴィルトゥオーゾ・オーケストラLFOを、ぜひ聴きにいらっしゃってください!


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