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2017/10/06 | KAJIMOTO音楽日記

●キャスリーン・バトル来日間近!―― 昨秋のMET復帰コンサート・レポ


現代最高の歌姫アンナ・ネトレプコが日本ツアー中で大反響を巻き起こしておりますが、1980年代後半から90年代にかけては、タイプはまったく違いますし、オペラでの役柄もまったく違ったものの、世界を席巻していたソプラノはなんといってもキャスリーン・バトルでした。

そして来日まであと10日を切りました!
ここで、少し前のことになりますが、バトル未だ健在!ということを印象付けた昨年のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場における復帰コンサートのレポ・エッセイを、現地在住でその公演を聴かれた音楽ジャーナリストの小林伸太郎さんに、日本公演で販売されるプログラム用にお書きいただきました。当HPでも一部を掲載いたしますので、ぜひお読みください。



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バトルの後にバトルなし
――昨秋のMET復帰コンサートを聴いて

小林 伸太郎 (音楽ジャーナリスト/ニューヨーク在住)

キャスリーン・バトルがメトロポリタン・オペラに帰ってくる! それはやはり、大事件だった。オペラではなく、特別コンサートの形ではあるけれど、22年ぶりに彼女がメットの舞台に立つ! このニュースが去年の4月に発表されたとき、多くのファンは感無量の思いに浸ったに違いない。1994年の2月、思えば記録的に雪が降り積もった、辛く寒い冬の最中、彼女が「プロにあるまじき行為」を理由にメットから解雇されたとき、私を含めて多くの人々が、彼女の声をメットの舞台で聴くことは二度とないと思ったからだ。

私が米国に住むようになった1990年代始め、バトルはメットに君臨する大スターだった。モーツァルト没後200年記念シーズンのために新制作された《魔笛》は、彼女がパミーナだった。《愛の妙薬》の新演出も、彼女とルチアーノ・パヴァロッティのために制作された。バトルの活躍の場はもちろん、メットだけではなかった。カーネギーホールのホリデー・コンサートでは、共演者が躓きそうになるほどに裾の長い真っ赤なガウンの艶やかな姿が全国にテレビ中継された。ボストン交響楽団の夏のホームグラウンド、タングルウッドの野外音楽祭に小澤征爾指揮の《カルミナ・ブラーナ》を聴きに行けば、彼女がソプラノのソリストだった。今考えてみると、あの頃のバトルは色々な意味でディーヴァ(歌姫)という言葉が本当に相応しい歌手だった。自分のテンポでねっとりと歌いすぎじゃない?と思うことも正直あったけれど、まあバトルならいいか・・・と思わせてしまうところが、スターとしての彼女の真骨頂だったのかもしれない。

バトルは、何故これほどまでに多くの人々のイマジネーションを捉えたのだろうか。その答えは簡単だ。彼女の声が、類まれなる、唯一無二の声だからだ。リリック系の軽いソプラノは枚挙に暇がないほど、今も昔も世界に溢れているが、バトルの声には、一声聴いたらすぐに彼女のものだとわかる個性がある。声量よりも、純度の高さが際立っており、どんな大きな会場でも決して埋もれず、よく泡立てられたきめ細かなムースかスフレのような繊細さで、私たちの心の小さな隙間に滑らかに入り込む。そのカリスマは、劇場やホールを水を打ったような静けさで支配してしまう。バトルが登場して以来、第二のバトルと目されたり、期待されたりした歌手が数多く出現した。しかしながら、彼女の個性に拮抗できる歌手は、未だに出現していない。

というわけで、昨年の11月13日、通常ならメトロポリタン歌劇場の休館日である日曜日の午後に、バトルの特別コンサートが行われた。当日の客席は、バトルの登場を22年間待ちわびた大人の観客だけでなく、彼女のオペラハウスでの活躍をおそらく知らないと思われる若い観客もかなり見受けられ、ソールドアウトの賑わいとなった。なぜか開演時間が40分以上も遅れたが、22年待ったのだ、それくらい大したことではない。いや、さすがにこれは大したことだったようで、劇場から何の説明も受けずに待たされた観客が、そろそろ我慢できなくなるかなと思われた頃、やっと合唱団が登場し、そして最後にバトルが現れた。小柄ながら、深いヴァイオレットのガウンにゴールドのオーガンザを羽織った彼女は、相変わらずゴージャスなオーラを発する。こうして、最初の曲、「Lord, How Come Me Here?」が始まった。

Lord, How Come Me Here? (神よ、私はなぜここにいるのですか)
Lord, How Come Me Here? (神よ、私はなぜここにいるのですか)
Lord, How Come Me Here? (神よ、私はなぜここにいるのですか)
I wish I never was born(私は生まれなければよかった)

静まり返った会場に、震えるようにソウルフルな言葉を載せた彼女の清澄な声が、静かに広がる。22年経ってもバトルの声は、やっぱりバトルの声であった。もしかしたら、以前よりも注意深く歌っているのかもしれない。しかしながら、特に高いレンジに抜けるフレージングは、やっぱりこの人ならのものだった。高音のピアニッシモも変わらない。待った甲斐があったと思った観客も、初めて彼女の声に触れた観客も、彼女の歌をこうして聴くことができる幸運を感じたに違いない。


この日のコンサートは、「アンダーグラウンド・レイルロード/スピリチュアル・ジャーニー」と名付けられていた。アンダーグラウンド・レイルロード(地下鉄道)とは、19世紀に米国南部の黒人奴隷を、奴隷制が廃止されていた北部やカナダに逃亡させることを手助けした地下組織のこと。その名が掲げられた今回のコンサートでは、黒人霊歌を中心とした自由への抵抗と祈りに溢れた数々の曲が、合唱やウイントン・マルサリスのようなスペシャル・ゲストも交えて、次々に歌われた。教会音楽とともに育ったバトルにとって、これらの曲は彼女の「音楽的バックグラウンドと文化的遺産」を一つにするものだという。プログラムの中には、「タミル・ライスに捧ぐ」と記された曲もあったが、ライスは数年前、エアガンを持っていたに過ぎなかったのに警官に射殺された少年である。当時彼がまだ12歳だったこともあって、大きな波紋を呼んだ事件だったが、少年と同じオハイオ州出身のバトルも、これに対して何か意思表示をせずにはいられなかったのだろう。場内はそんなバトルにも、熱い声援を投げかけていた。

場内に広がった深い共感は、多くのニューヨーカーにとって予想外の結果となった大統領選挙から、この日はまだ1週間と経っていなかったこともあって、さらに大きな力を持ったことも確かだ。いつもよりずっとアフリカ系の観客が多い客席は、時にゴスペル教会のようなパワーで満たされた。そんな観客席にバトルと合唱は、アンコールを5曲も披露して応えてくれた。

結局この日のコンサートは、盛りだくさんのプログラムに盛りだくさんのアンコールが続き、かつてバトルがメットで歌ったどんなオペラよりも長いものになった。そんなバトルのバイタリティに乾杯するとともに、これからも彼女には、世界中で末長く歌い続けてもらいたいと思う。バトルに代わる歌手は、どう考えても存在しないのだから。

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