ついに来日しました、ルツェルン祝祭管弦楽団。
それに合わせるように、今度でメンバー・インタビューは最終回。
その最終回、元ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席奏者で、今はフリー、そして(ご存知でしたか?)パリ管弦楽団のアシスタント・コンダクターを務めるルーカス・マシアス=ナバロが登場です。
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ルーカス・マシアス=ナバロ Lucas Macías Navarro
スペイン南西のウエルバ出身。インデアミューレ、ホリガー、ブルグに師事した他、アバドの勧めで2004~05年にカラヤン・アカデミーでハルトマンにも学んだ。06年には第9回国際オーボエコンクール・軽井沢で第1位およびモーツァルト賞を受賞。2005~07年ローザンヌ室内管首席を経て、07年12月からはコンセルトヘボウ管の首席に就任。アバドの信頼が厚く、04年にはモーツァルト管の首席、08年からはルツェルン祝祭管(LFO)の同ポストに招かれた(LFOは首席になる前、2006年の来日公演時のマーラーにも参加している)。2015年にコンセルトヘボウ管を退団し、翌16年からパリ管でハーディングのもと、副指揮者の任にある。このインタヴューでは、親しかったアバドの思い出を多く聞いてみた。
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――最近はスペインの新聞などでも、名前の表記が "Navarro"なしの "Lucas Masías"がよく見られます。ナバロはあなたのお母様の名字だからですね。
「はい、スペインの名字はちょっと複雑で、子供の名字は父+母の名字がセットで付くんです。なので、私のフルネームは名前が "Lucas"で、 "Macías"が父からの名字、それに "Navarro"です。名乗る時には通常は父側の名字になるので、ナバロは入れても入れなくても構いません」
――あなた自身は、姓を "Macías"と"Macías Navarro"のどちらで書かれるのがお好きですか?
「後者の“マシアス=ナバロ”ですね」
――さて本題に。LFOの魅力とは何でしょう?
「ベルリン・フィルやコンセルトヘボウ管などでも演奏してきた経験から、LFOはこれらトップ・オーケストラと肩を並べると断言できます。例えばある年に、マーラーの交響曲第10番を、クラウディオ・アバドが指揮するベルリン・フィルと、別の指揮者がコンセルトヘボウ管を指揮した公演の両方に出演したことがあって、その後アバドとLFOでも演奏しました。この時の体験を比べても、そう言えます。最もよかったのはLFOでした。なぜなら、プレイヤーたちが他のオーケストラよりもずっと多くのことを互いに聴き合っていたからです。LFOではルーティン・ワークは一切ありません、私たちは1年に1回だけ演奏しますが、他のオーケストラでは、毎日のようにリハーサルとコンサートがありますから」
――新鮮さをキープできるLFOの利点ですね。
「ルーティンというのは、どうしても皆からモチベーションを奪ってしまい、共に働く際のエネルギーや喜びを失わせてしまいます。ルツェルンの場合は、これがLFOの最大のポイントですが、きわめてセンシティヴで、常に穏やかに皆をひとつにまとめたアバドによる訓練を受けられたことは本当に幸運でした。これは夢のようなことと言えます。ミュージシャンたちも、常に穏やかでソフトで、和気藹々とやっています。これは年に1、2回しか演奏しないから可能なコンビネイションでしょう。それから、各ミュージシャンの高いクウォリティ。そして、この美しい町で一緒に演奏する喜び。素晴らしいコンサートホールももちろん魅力です」
――LFOの音楽的特徴は何ですか?
「サウンドですね」
――どのような?
「常にとても暖かく、丸く、大きな音です」
――かつ重すぎない。
「そう、重くない。しかしバランスはよく、軽くもありません。ちょっとよそで似たものを知りませんね。しっかりしたボディを持っていながら、あらゆる音を聴き取れる透明感もある。実に繊細で、丸く滑らかな素晴らしい音だと思います」
――あなたは特に晩年のアバドと長い時間を過ごしました。LFOはアバドの夢のひとつでしたね。
「彼の夢は、彼が知り合いたいと思う人々とオーケストラを作ることです。彼はベルリン・フィルの監督をしていたので、生涯をベルリンで過ごす可能性がありましたが、自分の理想は自分が望む人たち皆と音楽を作ることだと感じたんです」
――アバドを失った後、LFOはどのように変わったと感じますか? この間、ネルソンスとハイティンクが指揮しましたが。
「ハイティンクは、アバドのやり方に一番近く感じました。彼もとても謙虚な指揮者で、ミュージシャンにあらゆる自由と信頼を提供しながら共に演奏したいと望んでいます。何か主要な人物やものばかりに偏るのではなく、目立ちにくいものもすべて一緒になって音楽を作る。アバドとハイティンクは、音楽を作るために皆が重要だという立場です。それもあってハイティンクの指揮だと、とても暖かく、美しくエレガントで、デュナーミクに気を配った音楽になります。もちろんアバドと同じではありませんが。ネルソンスはとても若く、飛び跳ねたりしますから(笑)。そして今、シャイーとなり、これもまた違います」
――まだアバド自身や彼のスピリット、彼の音楽の存在をLFOで感じますか?
「とても強く感じます。例えば、主に作品の色彩的でとても美しい瞬間になる時など、私たちは皆当時に戻ると思います。そして、あらゆる思い出が去来して、いまでもクラウディオがそこにいると感じるんです」
――アバドとシャイーの違いは何でしょう。
「シャイーはレパートリーが素晴らしく広いですね。また特にリズミカルだったり、ダイナミックな作品が得意だと思います」
――リハーサルの進め方はどうですか?
「シャイーは、プレイヤーのソロも含めてすべてをコントロールするのを好み、常にプレイヤーにどのように演奏してほしいかを伝えます。アバドはその反対で、いつも私たちを信頼し、私たちの考えるようにさせてくれました。私たちが一緒だった10年以上の間に、ソロをどのように演奏するか言われたことは一度もありませんでした。これはとても大きな違いです」
――多くのメンバーはアバドがいつもリハーサルに長い時間を必要としていたと言います。シャイーはとても効率的なようですね。
「ええ、確かに。アバドとは通常毎日多くのリハーサルをしていました。まず管楽器だけ、それから弦楽器と、セクションごとに練習を積み重ね、万全の準備をして音作りをしていました。前3日間のリハーサルをフルに使うことで、最初のコンサートを迎える時点ではすでに準備が整っており、皆が一丸となってサウンドを作り上げていたんです。
シャイーになってからは、リハーサルは2日間になりました。その中でDEACCAへのシュトラウス・アルバムのレコーディングも組み込まれたりするので忙しくなりましたね[筆者註:今夏のLFOリハは、朝10時から夜までびっしり入れられていた。その間、休憩はランチ用の2時間のみ]。
ちょっと現代の生活の縮図のようで、私たちは色々なことを迅速に処理しなければなりません。私自身は、人生のあらゆることは時間を要するものだと思いますし、音楽家として最良のものを求めるのなら、時間が必要だと考えます。今日、難しいことではありますが。何事も非常に早く進むことが求められていますからね」
――シャイーの音楽の魅力的な点は何ですか?
「リズム処理の能力やスイングするセンス。それにテクニックがきわめて高いです」
――あなたにとってLFOは?
「LFOはおそらく私のこれまでの中で最高の思い出が詰まったところです。もちろん、アバドがそこにいたからです。マーラー1番、4番、9番、ブルックナー5番、1番などは特に思い出深いですね。私の青春の記憶のようなものです」
――あなたは現在指揮者としての活動を始めています。オーボエ奏者として頂点にいたあなたが、どうして指揮者を志そうと決心したのですか?
「クラウディオをずっと見ていたからです。コンサートの時はいつもリラックスしていて、音楽を楽しんでいる。もちろんものすごく勉強していたのは承知していますが、コンサートは常に喜びそのものでしたから。私にとっては、クラウディオの指揮のやり方は夢であり、憧れです。コピーのように彼の指揮姿を模倣することが可能だとしても、実際に彼と同じことができるわけではありません」
――あなたにとってアバドとはどのような存在ですか?
「倣うべきよき模範です。音楽家としてどうやって音楽を作るべきなのか、共に音楽を手がけてきた中で、どのように音楽に向き合っていけばよいのかを示してくれました。彼を失ったのは私の人生で最大の欠落です。私の音楽人生は、彼からあらゆることを学んだんです」
――アバドとLFOは2013年に日本ツアーを予定していました。多くのファンが楽しみに待っていましたが、彼の体調不良によりやむなくキャンセルになってしまいました。
「彼はとても具合が悪くなり、手術を受けなければならなくなってしまいましたからね。夏にルツェルンにいて《エロイカ》をやった頃は、とても具合がよかったんですよ。しかし、2週目にブルックナーの9番になって容態が急変し始め、最後のコンサートはキャンセル寸前でした。それでツアーは断念せざるを得なくなったんです。アバドも日本に行きたがっていたのですが」
――私は彼の最後となったその時のコンサートで、特にシューベルトの《未完成》の音を忘れることができません。シューベルトの作品に死の影を求める人もいますが、あの時の音はそれすらも超越していたように聴こえました。野暮な喩えはしたくありませんが、あたかもアバドの半分が天国にいて、あらゆるこだわりから解放されたかのような、なんとも不思議な……。
あなたがLFOに初めて参加したのは2006年のマーラーの6番でしたね。その年のLFO初来日公演にも出演していました。コーラングレの名手エマさんの隣の5番目の席でオーボエを吹いていたのを覚えています。それから11年が経ち、今回ようやく再来日公演が実現しました。今回のツアーの注目すべき点は何でしょう?
「オーケストラのクォリティ。それにプログラムが素晴らしいことです。シュトラウスのプログラムはオーケストラ・サウンドの醍醐味が満喫できますし、ストラヴィンスキーとベートーヴェンのプログラムは日本でのハイライトになると思います。仲間も私も、皆日本に行って演奏するのをとても楽しみにしていますよ。」
――日本のファンにメッセージをお願いします。
「コンサートにぜひいらしてください。素晴らしいクォリティと溢れるエネルギーで、驚きの瞬間になるでしょう」
聞き手・文・写真: 松本 學(音楽評論家)
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