少し間が空いてしまいましたが、まもなく来日するルツェルン祝祭管(LFO)のメンバー・インタビュー、今回は元ベルリン・フィル首席で、現在のLFO創設メンバーの一人にして重鎮、ヴォルフラム・クリストさんです。
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ヴォルフラム・クリスト Wolfram Christ
1978年から99年まで、実に21年にわたってベルリン・フィルの首席を務めた大御所。2013年10月および14年11月に仙台で開催されたARK NOVAにも、それぞれわずか1時間の出演のために家族で来日してくれた。ちなみにその家族とは、LFOヴィオラのターニャさんと、新コンマスのラファエルである。
(註:2013年のARK NOVAのWebページで「ヴォルフラム・クリストをはじめ、彼の血をひくラファエルとターニャ」とあるのは誤り。ターニャさんはヴォルフラムさんの再婚相手)
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――まず、LFOの魅力的はどんなところだと思われますか?
「素晴らしいミュージシャンの集まりだということ。2003年以降、何年もの長い間、ほとんどの音楽家たちが長い間ここLFOに留まり演奏を続けています。私も第1回目の最初のリハーサルから、その後のリハーサル、コンサート、ツアーと、 あらゆるLFOのプロジェクトに参加してきました。そして、私がこのオーケストラが特別だと思うのは、年に1、2回だけ---夏に1回と通常秋の10月にツアーを行うことだと思います。もうひとつ特別なのはそのクォリティですね。演奏者全員が実に素晴らしいクォリティを有している、これはまさにユニークなことです」
――確かに独特ですね。
「ユニークとは、つまり通常のオーケストラではないということです。普通のオーケストラは毎週一緒に演奏しますが、LFOではミュージシャンたちはこの特別な時期のためにだけ集まるのです。そして何よりもルツェルンという場所自体が素晴らしく、音楽祭運営陣は私たちが快適に過ごせるようあらゆる手配をしてくれます。これは強調しておきたいことですが、我々にとって全クルーがそのようにとても手厚くもてなしくれるのは非常に光栄なことです。そのような環境で、優れたミュージシャンと演奏できるというのも実に誇らしいことです」
――それはLFO特有のキャラクターでもありますね。
「LFOの独特のクォリティは、このオーケストラが持つきわめて特別な伝統からきています。これは、たとえばベルリン・フィルのような通常の伝統ではありません。彼らは130年以上にわたって演奏し続け、その間多くの大指揮者と共演してきたので、《春の祭典》をどのように演奏するか、またあまたの交響曲をどのように演奏するかといった伝統的な演奏方法や彼ら流の引き出し、流儀などを数多く持っています。
しかしLFOはそれとは異なり、レパートリーおよび過ごしてきた時間の点でも得意分野としてまだとても僅かな伝統しか持っていません。LFOの伝統というべきは、すなわちアバドであり、逆にこれは限界/制約がないことを意味しています。制約がないということは、疑いを持たないということです。もし今回のようにリッカルド・シャイーがやってきて、これが私のテンポですとやっても---これが時々結構速かったりするのですが---[LFOにとっては初めてのテンポなので]誰も驚きもせず、柔軟に即応できるのです。なぜなら、伝統を持っていないから。このオーケストラは、《春の祭典》も《マンフレッド交響曲》も今回初めて演奏しますが、制約がないので、とてもフレッシュで偏見がありません。インスピレイションに満ちているのです。
伝統というのは時によいものですが、しかしまた時には奏者を安心させるに過ぎないものもあります。“ああ、僕らはいつもベートーヴェンの交響曲をこうやったりああやったりしてきているのになぁ”とか、“あそこはいつもダウン・ボウ(下げ弓)でここはアップ・ボウ(上げ弓)だから”などと思い込ませる。ここにはそういう伝統は存在せず、それゆえ音楽家たちはおそらく少しだけ自由でいられるのです」
――LFOとあなたの古巣ベルリン・フィルとではどのように性格が異なりますか?
「最も大きな違いは、先ほど言ったように、ベルリン・フィルは毎週一緒に演奏していることです。本当にたくさんのコンサートがあり、多くの場合、交響曲は繰り返し演奏されます。ご存知の通り、マーラーの交響曲も演奏され続けています。私がベルリンで経験しただけでも、例えば交響曲第9番はバーンスタインとカラヤン、アバドの指揮で共演しました。他の交響曲だって何度も繰り返し演奏しています。《ツァラトゥストラ》はカラヤンとしましたね。でもこういうのはひとつの例であって、LFOはメンバーそれぞれが皆とても異なっていてね。だいたい、LFOで演奏しているほとんどの音楽家たちはこれまで《春の祭典》を演奏したこと自体ないんですよ、1度も……」
――LFOとして初めてというだけでなく、多くのメンバーにとっても初体験というわけですね(笑)。
[筆者註:この数日後に行ったクレメンスさんへのインタビューをご参照ください]
「そう、多くの人にはまさに初めてなんです。ですから、今回の“初演”は本当に刺激的で、何が起きて、どううまくいくのか実に興味深いですよ。その他のビッグ・シンフォニーも同じで、ここで演奏されたことのない作品ばかり……。R.シュトラウスなどは私でもオーケストラでそれほど演奏しませんでしたし。なので、これは特別な雰囲気を作りだします。もちろん非常に難しいということもあるのですが、このオーケストラでは、皆誰もが最初のリハーサルの前にとてもしっかりと準備してきていると感じます。LFOの演奏はまさしく冒険であり、期待に満ち、次々と起こりうる新たな体験なのです。限界がないのです」
――アバドを失ってからはや3年が経ちました。その間、LFOはどのように変わったのでしょうか?
「いくらか現場的・実務的な変化はありました。リハーサルの方法です。アバドとここで最後に一緒に演奏した週には、私たちはシューベルトの《未完成》とブルックナーの9番にまる1週間をかけました」
――2曲で7日間ということですね。
「そう、シューベルトとブルックナーの2曲で7日間です。そして今週ですが、シャイーとは、チャイコフスキーの《マンフレッド交響曲》とメンデルスゾーンの《真夏の夜の夢》、ストラヴィンスキーの《春の祭典》と4つの小品、計7曲を合わせて1週間で仕上げるようになりました。我々には2万個も音符があるんですよ、今週は。これは明白な違いで、我々はこれまでと比べてはるかに短く凝縮されたリハーサル時間で、スゴくきついプログラムをこなすことになったんです」
――随分な違いですね!
「アバドの場合は、時間をかけることをとても好みました。スコアに耳を傾けその中に音を聴くこと、時間をとって色々なことを繰り返すこと、また色彩の探究を繰り返すこと、を求めたわけですね。
一方、今回はプログラムがきわめてハードなため、我々はこのゆとりある時間を持つことができません。誰にとっても、あらゆる楽器にとっても難しく、きわめてチャレンジングなプログラムを、こんなに短い時間でこなすわけです。何よりもまずこれが最初にして巨大な変化です。とはいえ、我々はこの新たな仕事のやり方を理解し、初回のシュトラウス・プログラムを見事にやり遂げたんじゃないかと思っています。個人的にはこの先もう少し時間をかけてゆけば、シャイーとこのオーケストラとのコラボはもっとよくなっていくと思いますよ」
――なぜアバドはリハーサルにこのような多くの時間を必要としたのでしょう? もう少しお聞かせください。
「思うに、もっともっと探っていきたいという探究心でした。時にそれは色彩を見出すための実験でもありましたね。もちろん、アバドも音楽・作品についてはとても確固としたアイディアを持っていましたが、彼は我々と色々と一緒に試していって、その先に何が起こるのかを見てみようと望んでいたんです。無論、彼は130人を抱える大オーケストラの音を組織するのには時間がかかることも知っていました。それぞれのグループ、ちなみに私のいるヴィオラは14名の奏者がいますが、一緒に演奏するのは年に1度だけです。ですので、最初は要求にみあうレヴェルで一緒にピッツィカートを揃えることや、エスプレッシーヴォ、カンタービレといったその場に必要な音質など、スムーズなサウンドを作るのにほんの少しだけ時間を要します。ピアノとピアニッシモの差を見出すこともそうですね。アバドはそれにも時間を費やしました。
もちろん、シャイーはきわめて意欲溢れ、かつひときわ優秀な指揮者です。素晴らしく準備していますし、多くのことがうまく運ぶでしょう。アバドは音楽の中に入っていくことにほんのちょっぴり時間を必要としたのです。彼はより深く表現するための方法を見出すためにこの時間を本当に求めていました。言うまでもありませんが、コンサートはもちろんこの上なく素晴らしかったですよ。思うに、彼はより時間を必要としたんです、おそらく。彼はシャイーよりも20も歳上です。そしてそれが彼に物事を確かなものにするためにほんのちょっぴり多めの時間を必要とさせたのかもしれません。それだけのことです」
――ヴォルフラムさんはそのようなリハーサルについてどちら……。
[筆者註:ここから一時的に話がずれていきます。理由はちょうどこの直前から次のインタヴュイーが時間を気にして、我々の気を逸らしがちな行動を取り始めたため。それだけタイトなスケジュールでリハーサルが行われていたことの証でもあります。また昨夏にシャイーが新監督に就任すると発表があってから、界隈ではアバドとどちらがよいかという話題が何かと喧しかったためだとも思われます。ヴォルフラムさんのお話がとてもよかったので、現場の雰囲気も合わせつつ残しておきます]
「それはどうこういうような問題ではありません。私が言いたいのは、アバドは誰かに置き換えられるような存在ではないということです。クラウディオ・アバドは最初に言及しているようにユニークな(唯一無二な)存在なのです」
――ええ、それはもちろんです。
「そもそも、私はランキングの類は好きではありません。スポーツで速く走れれば、それはよいでしょう。でも、私たちはスポーツ選手ではありませんし、音楽は試合での勝ち負けではなく、さらにはベスト・コンダクターやベスト・ミュージシャンというのも違います。
例えば、私はクライバーを知っていましたが、彼は亡くなりました。カラヤンとも私は11年間働きましたが、彼も故人です。アバドとは20年以上にわたって働きましたが、彼も死んでしまった。
そう、新しい世代はやって来るでしょう。しかし、それは前の世代の指揮者や音楽家たちを忘れることではありません。彼らは我々に、自分たちの音楽についての知識とそして引き起こされる種々の感情についてとても多くのことを一度に教えてくれました。ですから、“仕方ない、僕らは別のクラウディオ・アバドを見つけなければ”などというのは違う。そんなことは不可能だと思います。新世代はまた別というだけです。他の指揮者、すべての指揮者は皆異なり、それぞれの指揮者が、彼自身の音と独自の優先順位を持っているのです。だから私はランキングが気に入らない。
私はクライバーと一緒にやった音楽を忘れたくはありませんし、カラヤンとの音楽もそうです。しかし、クライバーが1番でカラヤンが2番のようなことは言いたくありません。というか、できない。バーンスタインもまったく異なっています。この皆違うということがよいんですよ。マゼールとやったストラヴィンスキーの《春の祭典》も私の心に深く刻み込まれています。小澤さんも素晴らしい指揮者じゃないですか。多くの指揮者が私の心の中にいますが、1位、2位、3位とかランキングなんて考えません」
――私はランク付けを求めているわけではありません。リハーサルの仕方として、ヴォルフラムさんはどちらも評価されているようですが、それでも音楽家として友人として、双方の面からアバドの方法はお好きだったのですねと確認したかっただけなんです。
「ああ、そういうことでしたか。私はクラウディオ・アバドのリハーサルが大好きです。彼の両手からはあらゆることを読み取ることができたからです。それが可能な棒だったので、彼はそれほど話す必要はありませんでした。私は彼のそういう指揮や、強靭な探究心を愛していましたよ。そして、シャイーに関しては、彼がいかにスコアを知り尽くすほどにしっかりと準備していて、どれほど見事に効率よくリハーサルを行っているかという点を好ましく思っています」
――アバドとはとても長いお付き合いですが、あなたはまだLFOに彼の存在を感じていますか?
「ええ、時々は」
――時々?
「そうですね、たまに感じます。時々、ピアニッシモを弾いている時にその感覚が起こることがあります。それで思うんですよ。“大丈夫だよ、まだちゃんとできるから。君が喜ぶようにうまくやれるよ”って」
――シャイーはどのような新しいものをLFOにもたらすでしょうか?
「まずはレパートリー。レパートリーはとても新しいです。そして、私はこれが主要なポイントだと思いますが、とてもチャレンジングなところ。そのおかげで今、我々は随分とたくさんの音符を学ばなければならないんですが(笑)」
――今のとそっくりではありますが、とても重要な質問をしますね。今回新しく就任したコンサートマスターはどんな新しいものをLFOにもたらしますか?
「何かと思えば、ラファエルのことですか(笑)。彼はもちろん家族の一員で、息子ですが、私は彼の演奏が大好きなんです。とてもエネルギッシュだと思いますし、コンマスの席にいてとてもよい存在感があります。なので、彼がコンサートマスターをやってくれるのは、私は大歓迎ですね」
――彼もいつもはコンサートマスター以外をやったことがないけれど、LFOでだけは第2ヴァイオリンの首席を経験してとても新鮮だったと言っていました。
「シャイーのよい選択だと思います」
――あなたはLFOを創立当初から支えている第一人者ですが、LFOとはあなたにとって何ですか?
「私が存在する場所です。ご存知の通り、1999年にベルリン・フィルを退職し、ソロや指揮に専念していた時に、一緒にLFOを始めて、そこの首席になってほしいとアバドから頼まれました。2003年の最初のことです。オーケストラのレパートリー自体はとても素晴らしいですし、ましてやアバドとマーラーを弾くのは大好きでしたので、とても嬉しかったですね。このレパートリーは間違いなく素晴らしいです。それに年に1度LFOで弾くことも私にとって素晴らしいことでした。私にとって、再びオーケストラ生活が続くようなものではありましたが、一年間四六時中ずっと演奏したベルリン・フィルに比べればとても短い。年に1、2回ですからね。だから、レパートリーは大好きですし、やってみようと思うオーケストラ・プロジェクトだったのです」
――10月には、前回から実に11年振りの来日公演が予定されています。日本のファンに何か一言。
「私は1979年にカラヤンとベルリン・フィルとのツアーで初めて日本に行ったと思いますが、その時に早くも日本の聴衆の熱心さが心に焼き付きました。特に何千人ものお客さんたちがカラヤンのサインを求めて殺到するのには驚かされましたよ。警察まで人員整理に駆り出されて、ファンを押し戻していました。その後、80~90年代には多くのコンサートホールが建てられましたね。多くの都市や、小さな街まで、立派なホールを建て、とてもよく管理してきました。私はこういった日本の音楽愛好家による熱意に敬服しています。また、日本の聴衆は音楽や他のミュージシャンについても詳しいですよね。時々楽屋口などでファンの方などと話すこともあるのですが、音楽や音楽家について、まあよく知っている。びっくりすると同時に興味深いです。よく知っているし、熱意も高い。私はこれが続いてほしいとただただ願っているんです。なぜなら、私はそれが世界に必要だと思うから。これが続いていくことと、日本人のように音楽に強い関心を持つ人々がもっと必要なのです。
LFOを見てください。詳しく把握はしていませんが、ここには世界中の20から25ほどの異なった国からメンバーが集まっていますが、我々は争ったりしません。決して“君はどこどこの国の出身なの”と尋ねたり、ましてや“うわっ、それは嫌だ”などと言ったりしません。ただ一緒に音楽をするだけです。これは世界中の多くの人々にとって、あるべき偉大な例だと思うのです。
それゆえ、日本がこの音楽への関心を持ち続け、ますますそれを世界中に増やしていってほしいということです。そして経済問題さえインスパイアし、オーケストラを活性化して、クラシック音楽への熱意を増やして争いのない世界を築いてほしいということです。それが私の憧れです」
聞き手・文・写真: 松本 學(音楽評論家)
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