ルツェルン祝祭管のメンバー・インタビュー掲載、再開です!
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ラインホルト・フリードリヒ Reinhold Friedrich
元フランクフルト放送交響楽団の首席(1983~99)として初来日。LFOではその立ち上げ時より首席トランペットを続けている。来年3月からは7か月間のサバティカルをとりLFOを休むそうなので、この来日は聴き逃せない。
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――LFOの魅力はどのようなところでしょう。
「LFOは言うまでもなくルツェルン音楽祭のオーケストラですが、私はそれを“オーケストラ”と呼びたくありません。言うなれば“室内楽奏者のグループ”です。この発想はクラウディオ(・アバド)の考えに基づいているわけですが、彼は常に人と人とのネットワーク(交流)を求めていました。我々はオーケストラに所属する者から室内楽奏者やソリストに至るまで、それぞれ活動領域が異なる音楽家たちが、アバドというネットワークを通して結び付いた、よい音楽を求める“友人”なのです」
――アバドとはいつも親しくされていましたね。2013年の最後のコンサートは忘れられないことだと思います。
「とても強く覚えています、シューベルトの《未完成》とブルックナーの交響曲第9番のコンサートでした。《未完成》が終わった後の休憩時間にクラウディオの奥さんが私のところにとんできたんです。“ラインホルト、彼を止めて! 彼はもう指揮できないわ、もう動くエネルギーが残っていないの”と。その時は、私が彼にやめた方がいいと言いに行けるだろうか? 彼は自分でわかるだろうと答えてしまいました。
しかし、彼はどうにか力を見いだし、ブルックナーの終わりまで指揮をすると、最後の音符の後に非常に深く息をつきました。オーケストラの前に立つその姿を見た時、我々は、ああきっとこれが彼との最後のコンサートになるだろうとわかったんです。
もしクラウディオとリッカルドと比べるのならば、その大きな違いは、シャイーはまだ若くパワフルということもあって、両足が大地を踏んでいることです。クラウディオは時々立っているよりも飛んでいるような、すでに超越的なところがありました。そして、私たちを音楽へと運んでくれたんです。今でも時々本当に会いたくなります。彼はとてもよい友達のような存在でした。とても残念です」
――アバド亡き後、LFOはどのように変化しましたか?
「最初に言っておきたいのは、いまだに彼の喪失を苦しんでいるということです。彼と一緒にいるのは私の音楽生活の頂点でしたから。私たちはいわば大きなスペースシャトルに乗って、音楽の奇跡の中を飛んでいるようでしたが、その旅がどの道を辿るのかわかっていませんでした。なぜなら、クラウディオは決して同じことをせず、常に何かを見つけるようインスパイアされていましたから。
一方、シャイーは物事に対しきわめて強固な考えを持っており、これはこうだと伝えてきます。クラウディオはそういうことはせずに、私たちに起きることを聴き取るようにと言うんです。“聴いて、耳を開いて、今起こっているすべてを肌で感じて”って、ちょっとジョン・ケージみたいでしょ(笑)。
シャイーとアバドは音楽の作り方がまったく違います。私たちはクラウディオの残したものを自分たちの中に可能な限り維持していくよう努めます。無論、シャイーの力強さと彼のしっかりとした考えも正しい方法です。またリッカルドは音楽監督であり、スコアや音楽、様式の砦ですので、彼の元で、それを融合させることもあるでしょう」
――シャイーに決まるまでにハイティンクとネルソンスが間をつなぎました。この2人の指揮者をどう見ていらっしゃいますか? 特にLFOに関連付けなくて構いません。
「ハイティンクのような優れたパーソナリティの方と演奏できるのはとても名誉なことです。きわめて真摯で深い音楽家です。そしてどこまでも誠実。音楽の司祭のような存在です。とても謙虚で、あるリハーサルの時に、自分の棒がちゃんと見えにくかったら改善するから言ってくれと頼まれたのには驚きました。いつも感じがよく、フレンドリーな方でもあります。
アンドリスは随分と大きな子供のようです。動きも大きく、楽しい音楽ですね。彼はとても幸せな感じで、この多幸感がすべてを支えています。リハーサルの後は、アンドリスも皆も誕生日を過ごしたように幸せになっています(笑)。ところで、彼がトランペット奏者出身なのはご存知ですよね?」
――リガのオペラのメンバーでしたね。
「そこの第1トランペット奏者で、たくさんのレパートリーを演奏していました。彼はバッハの《ロ短調ミサ曲》のトランペット・パートなども立派に吹けるんですよ。もちろん指揮者になってトランペットはやめてしいましたが、ある時突然、友人のホーカン・ハーデンベルガーに、“また再開したいからレッスンしてくれない?”といって始めたんです。それから常に楽器を持ち歩いて、毎日練習しているんです。毎日ですよ。面白いですよね」
――さて、話を戻しましょう。ラインホルトさんは、アバドの存在をいまだにLFOに感じますか?
「サウンドに彼の名残が聴き取れます。クラウディオが11年にわたって私たちに与えてくれたものです。シャイーはこれを尊重しつつ、彼のスタイルと統合していくでしょう」
――シャイーはその他に、LFOに何を新しくもたらすでしょう。
「私は彼とLFO以外で演奏したことはないのですが、教え子たちがコンセルトヘボウやゲヴァントハウスをはじめあちこちのオケの首席をやっていることもあって、彼のコンサートはいくつも知っています。とにかくレパートリーが広く、ストラヴィンスキーやショスタコーヴィチからヴァレーズまでも入っている。様々なスタイルを持った新たなレパートリーで、私たちが知らない新しい島や岸辺へと連れて行ってくれるでしょう」
――シャイーはスカラ座のメンバーをLFOに参加させましたが。
「ええ。でも問題ありませんよ。彼らはイタリア人らしくちょっとクレイジーだし、ユーモアもたっぷりです。そして何より素晴らしい名手です。金管セクションでは、たとえば第1トロンボーンのダニエーレ・モランディーニがそうですね。イスラエル・フィルとニューヨーク・フィルの首席も務めた、国際級のスーパーレヴェルです。彼はクラウディオとも演奏したことがありますし。まあ、確かに他のスカラ座メンバーは彼との演奏体験がありませんが」
――LFOとはあなたにとって何ですか?
「大きな家族ですね。KKLはリヴィングルームかな。インバル時代のフランクフルト放送響とチェリビダッケのミュンヘン・フィルで始まった私のオーケストラ生活は20年弱で終わりましたが、今LFOで演奏できるのは美しい家に帰ってきたかのようです」
――今秋のLFOの来日は、2006年以来の11年振りとなりますね。
「今回のツアーは、LFOにとって、クラウディオのスピリットを守っていこうという挑戦と、フルパワーのエネルギーを有すリッカルドとの音楽を融合させようという点に注目していただきたいと思います。日本の皆さんは、古いものに新しいものを融合させるのがお好きですよね。
私は日本公演の4日前に前乗りして、ARK NOVAでも演奏します。そして日本公演が終わったら、次の韓国公演までの空き日は東京に残ってマスタークラスをやります。日本は聴く能力がとても高く、人もフレンドリーで親切なのでとても好きです。実は、個人的には今度で日本に行くのは33回目になるんですよ(笑)」
――33回目! 最初はフランクフルト放送響のメンバーとしてでしたね。
「インバルと一緒でした。マーラーの2、4、6番をやったような気がします。1987年だったかなぁ」
註)インバルとフランクフルト放送響は確かに1987年に来日しているが、このプログラムならば1989年。
――来年のLFOには参加しないということですが。
「来年は60歳を迎えるので、サバティカルをとってお休みします。自転車でヨーロッパを一人旅するんですよ。15,000キロ、およそ地球の1/3の距離です。7歳からずっとトランペット漬けですからね。楽しみです」
聞き手・文・写真: 松本 學(音楽評論家)
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