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2017/08/30 | KAJIMOTO音楽日記

●今夏のラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭から ―― L.フォークト&ノーザン・シンフォニア/ N.ゲルナー / P.アンタイ


今年も南仏で行われました、夏の野外ピアノ・フェスティバル―― ピアノ・ファンにはすっかり名前もなじみとなり、言ってみれば近年の名のあるピアニストは皆ここを経ている感さえある、「ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭」。

先日アップしました、ルーカス・ゲニューシャスのインタビュー記事は、彼がここに出演したときのものでした。

さて、今夏のラ・ロック・ダンテロン音楽祭の中から3つのコンサートを、パリ在住のジャーナリスト、岡田Victoria朋子さんにレポートしていただきました。
彼らは3人とも、いずれ近いうちに日本にも来ますので、ぜひ今のうちにチェックを!

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ラルス・フォークト&ロイヤル・ノーザン・シンフォニア
(2017年8月11日21時)



 ラルス・フォークトの演奏を初めて聞いたのは、確か1990年代半ばだった。シャンゼリゼ劇場だったか、もしかしたらシャトレ劇場だったかもしれない。場所の記憶は定かではない。当時彼はブラームスをよく演奏していて、たて続けに何度か聞いた演奏会のプログラムには、必ずソナタやインテルメッツォが入っていた。オール・ブラームス・プロもあった。どのオーケストラだったかは覚えていないが、やはりブラームスの2番のコンチェルトを聞いて、技巧をひけらかすのとは程遠い、その円熟した深みに大きく感銘を受けたことが、はっきりとした印象として残っている。1970年生まれだから、当時はまだ20代だ。年齢と音楽的な深みには相対性がないことを思い知らされた機会でもあった。

 それから20年が過ぎた。ここ数年、彼の演奏を聴くこともあまりなかったので、今回、ラ・ロック・ダンテロンの野外舞台で、2015年から彼が音楽監督を務めるロイヤル・ノーザン・シンフォニアを率いて、ベートーヴェンを弾き振りすると聞いて、これは是非聴かねば、と思った。プログラムは《プロメテウスの創造物》序曲、協奏曲2番と4番である。
 《プロメテウスの創造物》では彼は100%指揮者である。テクニック的なことは専門外なので評価できる術もないが、もし自分があのオケの一員だったら、何が言いたいのかがすぐに把握できる指示で、気持ちよく演奏しているだろう、という感想を持った。音はパート間のバランスがよく、とくに弦は素晴らしく均一性がある。だからオケ全体の音質にも一体感がある。だからと言って、綺麗なだけではない。聞こえる音楽は、メリハリがきいていて、アーティキュレーションが明確。一瞬の躊躇も曖昧さもない。ベートーヴェンのあらゆる音楽に貫かれている、前へ前へ進もうという「意思」が伝わってくる。美しい音を大前提として、その美しさを大きく超えた内面性を強く表現しているのだ。フォークトはたった数分間の指揮で、会場であるフロランス公園の野外舞台に集まった2000人の聴衆の心に、ごく自然な形で、彼の音楽観を植えつけた。

 こういう技は超一流の音楽家にしかなし得ない、と感心している間に、2番のコンチェルトの用意ができた。ベートーヴェン初期の傑作だ。まだモーツァルト的な古典様式が色濃く残る曲ではあるが、楽章ごとにそこから大きく脱皮する課程を目の当たりにできる、「成長期」の作品だと捉えることもできる。そんな性格を、フォークトは存分に引き出して聞かせてくれた。まだティーンエイジャーのような新鮮さが残る第1楽章は、あっさりと、しかし詳細をおろそかにすることなくのびのびと演奏する。第2楽章は叙情性に富んではいるが、表現に溺れることなく、曲が進むにつれて深みを増していく。よく響くピュアな音が印象的。一転して第3楽章は音楽に溢れるエネルギーを謳歌している。独奏からオケのトゥッティに渡す箇所では、まるで「どうだ、ここまで弾いたからあとを聴かせてくれ!」とでも言わんばかりの、ちょっといたずらっぽい表情で、目で合図を取っている。オケも、「これでどうだ」と精力的に答える。その掛け合いが素晴らしい。

 第4番はそんな「共創」をさらに推し進めた壮快な演奏。フォークトが音楽を体全体で楽しみながら奏でているのがわかる。演奏中は、彼自身がまるで音楽を体現しているかのようだ。2番でもそうだったが、ここで特筆すべきは、音楽が鳴っていない休符に、音楽が溢れていること。和声展開によって急に転調する箇所では、その変化を味わうかのように、時間が流れるのを十分に待つのだが、そこに息づく静寂にはっとさせられ、快い緊張が生まれる。ピアニシモがえも言われず気高い第2楽章は至高の調べとでも言おうか。そうだ。彼の休符とピアニシモには命の鼓動が息づいている。なんという美しさだろう。第3楽章は限りなく軽快。それでいて力強い。軽さの中に強さがあり、ドラマをはらんだ強さが、軽快に、淡々と進む。ベートーヴェンがこれを聞いたらどう思うだろうかと想像するのが楽しい演奏だ。
 熱狂して立ち上がり、足踏みしながら盛んに拍手を送る聴衆に答えて、バッハのゴールドベルグ変奏曲からアリア。これも静寂が雄弁な曲だ。彼の音楽世界が凝縮した時間とともに、充実した夜を終えた。


(*この時の音がここで聴けます!)
https://www.francemusique.fr/emissions/le-concert-du-soir/lars-vogt...



ネルソン・ゲルナーによるショパン「ピアノ協奏曲」2曲
(2017年8月12日20時、22時)



 ラ・ロック・ダンテロン音楽祭では、期間中毎年5回ほど、Nuit de pianoというマラソンコンサートが行われる。20時と22時に、2つのコンサートを聞こうというもの。途中約45分間の休憩を挟む。それぞれにテーマがあり、毎年のように組まれるのはベートーヴェンとショパンだ。今年はベートーヴェンのトリプルコンチェルトとショパンのコンチェルト2曲に加えて、ブラームス(ピアノ協奏曲2曲)、モーツァルト(ヴァイオリンソナタ6曲)、8、10、12、14、16手(1、2、3、4台ピアノ)による楽曲というラインナップ。

 そのうち、ネルソン・ゲルナーがショパンの2曲の協奏曲を弾いたコンサートを聴いた。オーケストラは、リオ・クォクマン指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア。ネルソン・ゲルナーはフランスでもショパン、リスト、ラフマニノフなどのロマン派弾きとして高い評価が定着しており、最近はパリに本拠を置くアルファ・クラシック・レーベルにレコーディングしている。
この夜のプログラムは、20時がショパンの協奏曲1番とモーツァルトのハフナーシンフォニー、22時がやはりモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》序曲とショパンの協奏曲2番。1番のコンチェルトを奏でだしだオーケストラは、四角四面的な演奏(モーツァルトも全体的にそうだった)。幸い、ゲルナーのピアノはリリックかつダイナミックで、オーケストラを大きく圧倒している。と言ってもオケの役割はほとんど伴奏的だが…。1番も2番も、中間楽章の美しさは群を抜いている。2曲とも終楽章は動きに溢れ、とくに1番は踊るようなリズム感が爽快だった。オーケストラにうまく合わせる技はプロのピアニストとして当然の素質ではあるが、オケがピアノと同等の演奏をしていれば、ゲルナーの長所がもっともっと引き出せていただろうにと、少々残念だった。アンコールはロシアの作曲家ブルーメンフィールド(1863-1931)の左手のための練習曲から1曲。リストの《超絶技巧練習曲》ばりの高度なテクニックが要求される上、音楽的にも深い成熟が求められる曲。ゲルナーはこれを完璧と言えるくらい素晴らしく弾いてみせた。めったに聴く機会がないが、彼は全曲をレコーディングしている。

(*この時の音がここで聴けます!)
https://www.francemusique.fr/emissions/le-concert-du-soir/nelson-goerner...



ピエール・アンタイ クラヴサン・リサイタル
(2017年8月12日18時30分 シルヴァカン修道院回廊)



 多くの優秀なクラヴサン(ハープシコード)奏者を排出し続けるフランス。ある著名な奏者によると、世界トップクラスの演奏家の半分以上がパリに集中しているという。そんな中で、さらにトップをゆくのがピエール・アンタイだ。最近もラジオで、ある(比較的)若手のフランスのクラヴサンの猛者が、「ピエールは私にとって絶対的な模範で、若い頃は彼の演奏を真似ることだけを考えていた時期があった」と言っていたくらいだ。
 この日のリサイタルはバッハのイギリス組曲第2番とパルティータ第3番を中心に、ヘンデルの「組曲ニ短調」。ヘンデルの組曲はなかなかコンサートにのらないなぁ、と思っていると、アンタイが解説を入れる。それによると、この日のプログラムは、当時盛んに行われていたように、奏者自身がヘンデルのさまざまな作品から曲を集めて組曲の体裁にしたとのこと。序曲は3幕もののオペラセリアIl Pastor Fidoの序曲の編曲だ。「解説」ではイギリス組曲、フランス組曲の命名の由来とされているエピソードや、パルティータと組曲のコンセプトの違いなども簡単に説明。演奏はいつもながらエスプリに富み、目を見張るような技巧を見事な音楽性とマッチさせた、快心な弾きぶりだった。
 

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