9月10日(月)に東京文化会館の小ホールでリサイタルを開く、ロシア出身、大いなる才をもつ期待のピアニスト、ルーカス・ゲニューシャスが先日南フランスのラ・ロック・ダンテロン国際音楽祭に出演。
その折、在仏ジャーナリストの斎藤珠里さんにインタビューをしていただきましたので、ぜひお読みいただき、9/10のリサイタルに足をお運びください!
(ルーカス・ゲニューシャス ピアノ・リサイタル)
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ヨーロッパ最大級のピアノの祭典ともいえる南仏のラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭に、筆者がいま最も注目しているロシア出身の若手ルーカス・ゲニューシャスに会いに行った。同音楽祭はフランスのナント市で始まり日本でも2005年から毎年開催されているラ・フォル・ジュルネの生みの親ルネ・マルタンが、37年前から総監督を務めている。新進気鋭ピアニストの発掘とそのキャリア支援をモットーとするマルタンがゲニューシャスを初招聘したのは2012年。ショパン・コンクールで第2位を獲得した2年後、またチャイコフスキー・コンクールでも第2位となった3年前だった。9月に東京のリサイタルで、また京都ではピアノ協奏曲を演奏するゲニューシャスに、日本に向けた思いなど語ってもらった。
斎藤 珠里
―― ラ・ロック・ダンテロン音楽祭には今年でもう6回目の出演なのですね。
この音楽祭なしに自分のキャリアは考えられません。自分が温めてきた曲目を披露したり、一年間のプログラムの集大成を聴いていただいたり、という特別な意味合いをもちます。大きなプラタナスの木々に囲まれた青々とした公園、温かな聴衆、音響効果、よく練られたプログラム。。。すべてをとってもピアニストにとって最適な環境だと思います。私の今後のキャリアの方向性を示唆する舵取り役を担ってくれる場所ともいえます。
―― キャリアという点では、ショパン・コンクールとチャイコフスキー・コンクールで2位を獲ったという実績が大きいのではないですか。
もちろん大きな国際コンクールでの上位入賞はキャリアを築く上で重要ですが、世の中のアーティストの中で、自分がどんな評価を受ける位置にいるのかと客観的に自己分析する機会にもなります。さらにいえば、演奏の精度を極限まで高めるというチャレンジを自分に課す経験にもなりました。
―― そして、おばあちゃま(ヴェラ・ゴルノスタエヴァ)の存在もありますね。
ピアノの師匠とかアドバイザーという以上の存在でした。私が音楽に全身全霊を傾ける情熱や努力目標すべてを理解し気遣ってくれた。真の意味で私の心の友、常にインスピレーションを授けてくれ、必要なときにいつも手を差し伸べてくれていたので、コンクールなどでの成功の喜びを祖母と分かち合えたのが何よりも嬉しかったです。
―― では東京でのリサイタルに話を移させてください。冒頭にショパンの練習曲集(作品10、作品25)の2巻、つまり全24曲を立て続けに演奏されます。大胆なプログラム構成ですが、その意図は?
私がショパンの練習曲をすべて弾きこなす、というのは、私が6歳でピアノを始めたころからの祖母ヴェラの願いでした。ヴェラの口癖が「この24曲にはピアニストにとって必要な技術がすべて詰まっている。これが弾ければ、どんな作曲家の曲でも弾けるわよ」でした。私自身、それを実感しています。現代のピアノ楽器を弾くために必要な技術のすべてが詰まっています。10年ほど前の録音したときと比べると自分の進化の過程がみえます。この練習曲によって再生を図っているといっても過言でありません。私にとってバイブル的な礎であるショパンの練習曲をお聞かせするのは、大事な意味合いがあるんです。
―― そして、ラヴェルの『ソナチネ』ですね。ロシア人のあなたがフランス人作曲家の作品とどう向き合うのか注目しています。
コンクールでも度々弾いてきた大好きな曲です。祖母のヴィエラもよく言ってましたが、ピアノにとって20世紀の巨匠はラヴェルとプロコフィエフ。だから私も今回のリサイタルに両方を入れたんです。いまやグローバル化している時代ですが、ロシア人として生まれ育った私の感性は曲の解釈にも影響すると思います。一言でいうなら詩的なアプローチでしょうか。ラヴェルに特徴的な理性、バランスに加えて、古典形式が色濃い『ソナチネ』にどう詩的な感情をミックスさせるか、そのあたりの匙加減に神経を使います。ラヴェルの直弟子ヴラド・ペルルミュテールによる著書『ラヴェルによるラヴェル』が大いに参考になっています。
―― プロコフィエフの『Op12の小品集』は、あまり演奏される機会がないのですが、この作品の魅力はどんな点でしょうか。
プロコフィエフ初期の作品ですが、彼が後世に書いた傑作の数々のエッセンスが凝縮していると思います。10からなる小品にはガボット、マーチ、アルモンドといった舞曲がベースになっているもの、元々は4本のバスーンのために作曲するつもりだったスケルツォ、同じくハープのために構想されていたプレリュードなどが含まれています。それぞれにドラマ、詩的感情、ロシア伝説なども展開されていて非常に興味深い作品です。
―― 珍しい作品と言えば、今回のラロック音楽祭でもチャイコフスキーの作品『ピアノ協奏曲2番』を取り上げましたね。お恥ずかしいですが、2番が存在するのを知りませんでした。
ピアノ協奏曲1番は弾かれすぎてますし、2番は演奏されなさすぎです。あまり人気のない曲をどんどん演奏する、というのは私の使命感でもあります。実はチャイコフスキーは、ピアノ協奏曲3番にも着手していて1楽章を作曲したところで命を絶ったんです。だから本当の絶筆は、交響曲題6番『悲壮』でないんです。初期にもオーケストラとピアノのためのアンサンブルという曲を書いていますが、これもあまり演奏される機会がなく残念です。私の将来の夢は、こうしたチャイコフスキーがオーケストラとピアノのために書いた全ての曲を演奏するということ、CDも出せたらと願っています。
―― あなたに影響を与えている演奏家には、どんな方がいるのでしょうか。
もちろん祖母ヴェラが筆頭ですが、最近では、CDなどでも共演しているロシアの若手ヴァイオリニストのアイレン・プリットチン(2011年ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで特別賞受賞)からインスピレーションを受けています。いま60代のロシア人作曲家レオニード・デシアトニコフにも感化されます。彼がピアノのために書いた24の前奏曲にはウクライナの伝統が色濃く魅力的な作品ですよ。
―― 最後に、日本の聴衆に向けてメッセージをいただけますか。
日本ではコンサートホールの音響の素晴らしさに加えて、演奏中には恐ろしいほどの静寂に包まれます。空気が真空状態になって自分の集中力が非常に高まり、ほかでは多分体験できないぐらい自分を追い詰めた演奏になります。
祖母ヴェラは、東京に20年間ほどいて、初期のヤマハ音楽教室の要を担った一人です。児玉桃さんとか上原 彩子さんなど、4世代にわたって日本人ピアニストを輩出しています。だから、私が子供だったころから日本に興味を持たせてくれたのも祖母なんですよ。日本からロシアに帰省するたびにお煎餅とか、ロシアでは珍しかった保温機能つきの電気ポットを買ってきてくれて、近所の皆に自慢できる家の宝になってました。2年前、85歳で他界しましたが、こうやって私が日本に呼ばれて演奏できるなんて、いまも祖母との不思議なつながりを感じています。
ラ・ロック・ダンテロン音楽祭の風物詩ともいえるお気に入りのプラタナスの大木の前で