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2017/08/19 | KAJIMOTO音楽日記

●シャイー&ルツェルン祝祭管弦楽団 来日を前にVol.1―― シャイーは語る(その1)


リッカルド・シャイー指揮ルツェルン祝祭管弦楽団(LFO)の来日公演まで、あと1か月半ほどとなりました。現地での今年のルツェルン・フェスティバルは8月11日に開幕、もちろんLFOのコンサートを看板として、9月まで連日ベルリン・フィルやウィーン・フィル、コンセルトヘボウ管など、世界のトップofトップのオーケストラなどが連日公演を重ねます。

開幕初日はシャイー指揮LFOのR.シュトラウス・プロ。既に大変な好評を伝えられておりますが、これは日本でも披露するプログラムです。

さて、ここで昨年からLFOの音楽監督となったこの大マエストロに、来日公演を前に様々なことを聞いてみました(6月に実施)。このインタビューは、公演当日に会場で販売するプログラムに掲載いたしますが、その一部をアップいたしますので、ぜひお読みください!



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―― 昨夏、マエストロはルツェルン祝祭管(LFO)を初めて指揮して、どんな感想をもたれましたか?それは故アバドがLFOとのマーラー・チクルスで唯一残してしまった「第8」だったわけですが、それを通じてこのオーケストラの技量について、キャラクターについて、常設の伝統あるオーケストラとの違い、このオーケストラの音楽監督となったことへの思いなど・・・なんでもお話ください。

C:
昨年のLFOとのコンサートは、私の人生においてとてもエモーショナルな出来事であり、このマーラー「第8交響曲」を指揮したことはアバドへの追悼となりました。LFOというオーケストラのコンセプトを考え、作り上げたのがアバドだということと、このプログラムはルツェルン・フェスティバルでは2回目になるはずでした。一回目は約80年前にトスカニーニがこの「第8」を旧LFOで指揮しました。


ご存じの通り、アバドとは長く親しくしてきました。1970年代にはミラノ・スカラ座で彼のアシスタントを務め、それが後に客演に繋がりました。心からの親友であり、ミラノ以外でもウィーンやロンドンで会ったり、また彼がシカゴ交響楽団にいる時、私がリリックオペラで指揮をしている事などもありました。

今回LFOを指揮したときに感じたこと・・・それは「期待通り」だったということです。世界一級のメンバーがいてそうした水準を誇るオーケストラであり、直ちに関係を育むことができます。最初にリハーサルをしたとき、第1楽章をほとんど止めずに通したのです。LFOが私の指揮にどう反応するか、彼らが指示を受け止めどう解釈するか、興味がありました。マーラー「第8」は複雑な音楽ですが、はじめに私の解釈やアイディアを説明したらすぐに理解してくれましたし、相性がいいことはすぐにわかりました。
ですから、1年たち、今年の夏に彼らと3つのプログラムを演奏し、そして日本に10月に行くことをとても楽しみにしています。



―― 今度のオール・R.シュトラウスのプログラムというのは私たちには結構意外です。マエストロは日本でこの作曲家の作品をとりあげたことはなかったですし、録音もないので。R.シュトラウスについて、その作品について、またそれらを腕利き揃いのLFOで指揮することについて、お話ください。

C:
私はずっと常にR.シュトラウス作品を指揮してきましたが、そういえば日本ではやったことがないですね(笑)。今回日本でも指揮する「ツァラトゥストラはかく語りき」「死と浄化」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、私はこの3つの作品が大好きです。これらは3つともキャラクターも底に流れる感情も異なりますからね。そしてオーケストラにとってこれらの作品に取り組むことは、各パートが独立して出てくる部分がたくさんありますし、とてもいいチャレンジになります。 またアバドの時代には演奏しなかった作曲家ということもあり、LFOはそれを私と経験することになります。そういう意味で、今回はシュトラウスとともに、ストラヴィンスキーも演奏します。「春の祭典」は20世紀音楽の中で最も難しいスコアをもつ、といっても過言ではないでしょう。
またベートーヴェンもとりあげますが、「エグモント」序曲を「第8交響曲」と組み合わせます。「第8」は歓びのあふれる宝石です。第2楽章では奇跡的ともいえる正確なテクニックを必要とします。
こうして、私はヴィルトゥオーゾたちから成り立つオーケストラを日本に連れて行くことになります。

(続く)

聞き手・文: 杉山亜希子 / 質問作成:KAJIMOTO編集室


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