今年は日本を代表する国際的作曲家、武満徹が亡くなってから20年。
12/21の映画音楽コンサートの前に、今年の弊社の公演プログラムに連載した「〇〇meets Takemitsu」(全7回)から、3回をピックアップしてご紹介しておりますが、最後は武満さんの愛娘、真樹さん。今度の映画音楽コンサートの企画者でもあります。
(11月パリ管弦楽団プログラムに掲載)
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そもそも父はオペラを作ろうと思っていたのですね。亡くなる前のことです。当時、リヨン・オペラの総支配人だったJ.P.ブロスマン、そして指揮者ケント・ナガノと組み、B.ギフォードの台本も出来、演出も映画監督のD.シュミットに決まっているくらい、話が進んでいました。私も父に言われ、その準備のためにシュミットの映画アシスタントをやったくらいです。 しかし父は亡くなってしまい、オペラの話は頓挫。ブロスマンとケントもまた失意に打ちのめされましたが、彼らは「何か代わりにできないかな?」と諦めません。そんな時に梶本眞秀社長もその話に加わり、私のところにやってきました。当時サイトウ・キネン・フェスティバル松本で「武満徹メモリアル・コンサート」のプログラミングをやっていた頃です。これがキッカケで話がふくらみ、ブロスマンが移ったパリ・シャトレ座とベルリン州立歌劇場、そしてKAJIMOTO(当時:梶本音楽事務所)の共同制作で、父の音楽を使った「何かの」舞台上演をやろう!ということになったのです。
さて、誰に舞台の創作を任すか?ここでケントから、ベルリン州立歌劇場で主に仕事をしている鬼才演出家P.ムスバッハはどうか?と提案が出ます。それはいいね、と話はトントン拍子に進みました。私は正直なところを告白しますと、当時はまだ父の音楽の多くを知らなかったし、こういう舞台を作るということがどういうことなのか、あまりよくわかっていませんでした。ただ、「音楽は全曲そのままを。カットやアレンジをせずに使ってほしい」ということと、「父は、日本がしばしば持たれるエキゾティックなイメージとはかけ離れた人間でした」ということはムスバッハに言いました。もっともケントがいたのでそんなには心配していませんでしたが。彼は例えば「『ノヴェンバー・ステップス』は東洋と西洋の融合した作品、と安易に思ってほしくない」などと常々言っているような人でしたし。 使用曲の骨組みはムスバッハが決めました。しかし、私が「こんなのもどう?」と持って行ったポップソングや映画音楽を聴かせると(私はそういう面も見せたかった)、彼は面白がって、「多様性があるほど作りやすいね」と。それで製作の幅が広がったかもしれません。 さて、長い苦労の末、「弦楽のためのレクイエム」「ノヴェンバー・ステップス」「スタンザⅠ」「系図」など、父の音楽を数曲使った舞台作品《武満徹: マイ・ウェイ・オブ・ライフ》が完成しました。2005年4月に東京で上演された際、この舞台を観た(聴いた)方々はどう思われたでしょうか?その前年の10月にベルリンでの世界初演を観た私は正直戸惑いました。視覚的にも不思議ですし、ベルリン・ドイツ響の響きがいくぶん重厚だったこともあります。そして父の音楽がつながって“物語性”をかたち作ることにも。しかしベルリンで、続いてシャトレ座での上演を観続けているうち、「ああ、これはムスバッハが父の音楽を聴いて、そこから感じたことで紡いだ『彼の作品』なんだ。面白いじゃない、これ」と、いつのまにか腑に落ちていったのでした。 (談)
武満 真樹
(《武満徹: マイ・ウェイ・オブ・ライフ》東京公演ライヴのDVD、BDは NHKエンタープライズより発売)
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2016.12.16
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2016.07.05