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2016/12/17 | KAJIMOTO音楽日記

●武満徹没後20年―― 12/21映画音楽コンサートの前に「思い出」話を Vol.2:レナード・スラットキン(指揮者)


今年は日本を代表する国際的作曲家、武満徹が亡くなってから20年。
12/21の映画音楽コンサートの前に、今年の弊社の公演プログラムに連載した「〇〇meets Takemitsu」(全7回)から、3回をピックアップしてご紹介しておりますが、2回目は、武満さんの「系図~ファミリー・トゥリー」を世界初演した指揮者、レナード・スラットキン。(4月にN響の定期公演でもこの曲を指揮しました)



(6月リヨン管弦楽団プログラムに掲載)

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ご存じの通り、私は1995年に武満徹の「系図(ファミリー・トゥリー)」を世界初演しました。オーケストラはニューヨーク・フィルハーモニック。ニューヨーク交響楽協会の設立150周年を記念しての委嘱作品の1つで、私が現代曲の演奏にも力を入れていると知って、ニューヨーク・フィルが指名してくれたのです。 私は武満作品をそれまでにいくつか指揮したことはありましたし、武満と直に会い、仕事を共にしたこともあります・・・が、「ファミリー・トゥリー」は独特な物語をもち、異色でした。音楽と語りがぴったりと一致すべき箇所がないのです(英語版でも日本語版でも)。しかしその作曲書法は実に「武満らしい」。そこには日本的な世界が広がっています。和声の動きはシンプルでありながら、隅々まで非常に繊細です。私たち西洋人は武満の音楽に、ドビュッシーやラヴェルら印象派的な作曲家の影響を強く感じます。またサティやフォーレの影響も無視できません。そして私が武満の音楽において常に愛してやまないのは、その精巧さです。彼のスコアはどのように演奏してほしいのか、どんなサウンドを求めているかを、きわめて明確に奏者に伝えてくれるのです。ですからオーケストラは然るべきサウンドを引き出しさえすれば素晴らしい結果が得られます。反対に音量を上げすぎたり、速く振りすぎたり、と極端なことを行うとどうしてもうまくいかなくなる。 武満の作品は、「ノヴェンバー・ステップス」、「乱」の組曲、「リヴァラン」など色々指揮しました。加えて「ファミリー・トゥリー」のスコアを掲げて「私が初演者です!」と誇れるのは気持ちがいいですし(笑)、自分の死後もその功績が残るのは光栄なことですが、それ以上の私にとっての真の喜びは、武満の死後20年という節目が、私たちに多くのことを思い出させてくれるという事実です―― 彼が私たちと共にあり続けていること、彼の音楽が常に特別で無比であることを。今こそ、武満がどれほど重要で才能ある作曲家であったかが再確認されるべきでしょう。*** ところで「ファミリー・トゥリー」の初演で語りをしてくれた、当時16歳のサラ・ヒックスが10年後、私が指揮を指導したクラスにいた、という驚きと喜びを付け加えておきましょう。彼女はその後、音楽家として素晴らしいキャリアを築いています。(談)


レナード・スラットキン(指揮者)


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