完全復活を果たした天下に名だたる鬼才ピアニスト、イーヴォ・ポゴレリッチの来日までいよいよあと10日ほど。
今月上旬、来日を前に、今回のリサイタルで演奏する曲目などについて、ポゴレリッチに電話インタビューを敢行しました。
聞き手は、かねてからポゴレリッチほか、現代の名ピアニストたちにインタビューを続け、本も書いている台湾出身の著述家/音楽ジャーナリストの焦元溥(YuanPu Chao)さん。
ポゴレリッチが如何に多様なことを熟考し、あの独特な解釈に臨んでいるかがわかります。
公演前にぜひご一読を。
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──今回のプログラムにショパンの《バラード第2番》と《スケルツォ第3番》が入っていることを嬉しく思います。1980年のショパン国際ピアノコンクールであなたはこれらの作品を演奏し、その緻密な解釈と鮮烈な演奏で聴衆を魅了しました。その後の録音でも、コンクールのときとは違った解釈で素晴らしい演奏表現を楽しませてくれています。《スケルツォ第3番》は2回録音していますね。今回のリサイタルで再びこの2曲に取り組むことにしたのは、何か以前とは違うものを表現したいと考えたからでしょうか?
楽譜と向き合いながら生きていると、目の前に次々に広がる美しく感動的な世界に圧倒され、何が私をこんなに惹きつけるのだろうと考え、その背後にある道理を追求したくなります。その過程で、自分がその作品に対して今までどのように考えていたかということは忘れてしまうので、以前と同じ演奏をすることは決してありません。ひとつの作品に少し距離を置いて客観的に注意深く眺めると、様々なことに気づき、想像力が刺激され、まったく別の視点でその作品を捉えるようになります。音楽というものは、私たちが想像する以上に豊かな内容と霊感に満ちています。言い換えれば、真に人々を啓発する音楽は、永遠に異なった解釈を歓迎し、無尽蔵の宝の山に人々を誘うということです。
私は常に新たなレパートリーに取り組むのと同時に、すでに演奏した作品に戻ることが大切だと考えています。ある作品がどれほど私に多くのものを与え、その作品と私の旅がまだ続いているのだと気づくたびに、大きな驚きと喜びを覚えます。まさにレオナルド・ダ・ヴィンチの「人は同じ川の水に足を踏み入れることはない」という格言に似ていますね。
長い年月を重ね、私は以前の私ではないので、ある作品を昔と同じように演奏することはありません。
──ショパン作品の独創性についてどのようにお考えですか?
ショパンは独自のテクニックを発展させた作曲家で、それはウィーン楽派の伝統とはまったくかけ離れています。彼の驚くべき想像力は、作品の形式の概念を打ち破り、信じられないほど美しい音楽を生み出しました。それがショパン作品の演奏の難しさです。ですから、どんなに簡単そうに見えるフレーズでも、様々な演奏を試しながらよく考え、けっして既成のやり方で処理しようとしてはいけません。私たちは経験を蓄積することはできますが、ショパンのそれぞれの作品を同じ方法で演奏するのは、怠慢以外の何ものでもありません。
──あなたのシューマンの録音と演奏は、聴衆に鮮烈な印象を与えていますが、今回は新しいレパートリーの《ウィーンの謝肉祭の道化》を聴かせてくださるのですね。シューマンという作曲家について語っていただけますか?
まず、彼があまりにも低く評価されている作曲家だということを知ってもらいたいと思います。彼自身が若い頃に志した目標には達していないにしても、彼の才能は時代をはるかに超越していました。もしも手を傷めていなければ、彼は素晴らしいピアニストになっていたでしょう。しかし、彼は心血を注いで作曲と聴衆の教育に力を尽くし、一生をかけて悪趣味と悪習慣に対抗しました。また、彼は人並外れた才能を持っていましたが、同業の大家を心から尊敬していました。ベートーヴェンの最初の記念像は、彼の計画によって建てられたのです。彼のピアノ作品は美しく豊かで、人間の心の奥深くに秘められた曖昧模糊とした感情を引き出しています。それをうまく表現するには、ひたむきな努力と修行が必要です。世の中の人々の彼に対する認識は、今日に至るまでまったく足りません。彼はただのロマン派の作曲家などではありません。
──この作品の標題の「ウィーン」をどのように理解したらいいでしょうか?
シューマンがウィーンで過ごした日々の記録はごくわずかしか残っていません。また、彼のウィーン滞在は順調なものではありませんでした。しかし、彼が実際にウィーンでどのように過ごしたかということは、この作品には関係がないと思います。標題の「ウィーン」という言葉には、象徴あるいは比喩的な意味を込めたのだと思います。19世紀末まで、ウィーンはヨーロッパ最大の都市であり、音楽産業がもっとも栄えた街でした。音楽文化と教育の中心だったと言っていいでしょう。そのような角度から、この作品の標題のニュアンスを考えるといいでしょう。
──それでは、謝肉祭の仮面についてはいかがでしょうか?
逆に私が尋ねますが、モナリザの微笑にはどのような意味があるのでしょうか? その答えは、人それぞれ違うでしょう。シューマンの作品はひとつひとつが謎であり、それを理解するには碁を打つように少しずつ考えていくしかありません。型通りの答案をあてはめるわけにはいかないのです。
──あなたの技巧とペダリングの素晴らしさにはいつも驚かされます。とくに倍音の使い方は神秘的としか言いようがありません。この作品には響きの処理が難しい部分がたくさんありますが、あなたはどのように解決しているのでしょうか?
シューマンはベートーヴェンに倣って、ピアノでオーケストラの響きを表現しようとしました。《交響的練習曲》は、まさにそのような作品です。彼の作曲の過程をよく見ると、ある部分の響きの効果を何年もかけて模索していたことに気づきます。ですから、彼の作品に軽々しく取り組むことは慎むべきで、時間をかけて少しずつ掌握していかなければなりません。とくに旋律が美しいフレーズには注意が必要です。あまりにも美しいために、演奏者は豊かで複雑な構造に気づかず、さまざまな声部をコントロールすることを忘れがちです。私に言えるのは、とにかく絶対に軽率に作品に取り組むべきではない、慎重に作品に向き合うべきということです。(続く)
[訳: 森岡 葉]
2016.11.01
2016.06.13