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2014/01/24 | エル・システマ

【エル・システマより大切なお知らせ】クラウディオ・アバド氏の訃報に寄せて





 指揮者クラウディオ・アバド氏が1月20日(月)に逝去されました。
 
 氏は1999年にグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラと共にベネズエラを訪問し、エル・システマの子どもたちが奏でる音楽と初めて出会いました。
 彼らの若さ溢れるエネルギーと「想像をはるかに超える音楽的レベル」に感銘を受けた氏は、この子ども達の音楽を世界に広めたいと強く感じ、彼らをベルリンに招くこと、そしてベルリン・フィルの団員を講師としてベネズエラに派遣することをその場で約束しました。
 すぐにその約束は現実のものとなり、エル・システマはヨーロッパでも注目を集めるようになります。その後もアバド氏は度々、エル・システマのオーケストラを指揮。氏がベルリン・フィル芸術監督退任後も、その意志はサイモン・ラトルに受け継がれ、これまでに幾度となく多くのベルリン・フィルの楽員がベネズエラを訪れています。
 2008年のシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ(現:シモン・ボリバル響)の初来日も、氏の功績なくして実現はあり得ませんでした。
 若いアーティストの育成に尽力し、チャンスを与え続けた偉大なマエストロのご冥福を、心からお祈り申し上げます。

KAJIMOTO エル・システマ室



 アバド氏の訃報に寄せて、シモン・ボリバル音楽財団が発表した記事と、エル・システマ創設者ホセ・アントニオ・アブレウ博士のメッセージを以下に訳出いたします。


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エル・システマの発展に深く貢献したマエストロ、クラウディオ・アバド氏、80歳で急逝




「マエストロ・アバドの死は、彼の残した教育的、社会的、芸術的遺産の計り知れない大きさと同等の、取り返しのつかないほどの悲しみです。エル・システマは、彼から多くの事を学びました。ベネズエラおよび南米大陸の音楽文化に、永久に消えない足跡を残したのです。彼は、私達のプロジェクトを、空前無比の、終わりのない、偉大なものを追い求めるものにしました。彼は、ベネズエラの若者の音楽的才能と意思への信頼を表明していました。その確信は、修練、作品、職業としての芸術に結び付いていました。エル・システマは、2014年シーズンの活動をアバド氏へ捧げ、来年、私たちは、イタリアの地で、彼への深いオマージュを込めて演奏します。――クラウディオ・アバドの名誉と栄光よ、永遠に。」
 

ホセ・アントニオ・アブレウ (2014年1月20日)



1月20日(月)、シモン・ボリバル交響楽団 とフランス放送フィルハーモニー管弦楽団は、指揮者グスターボ・ドゥダメルと共に、マエストロ・クラウディオ・アバド氏の死の数時間後に、パリ・ノートルダム大聖堂で1分間の黙祷を捧げた。



ドゥダメル氏は、リハーサル中に、かのイタリア人指揮者の残した遺産について語り、同大聖堂で1月22日水曜日に予定されている、ベルリオーズの『レクイエム』を彼に捧げると述べた。

「私にとって、クラウディオ・アバド氏は、いつまでも芸術史に輝く天才の1人であり続けます。彼の限りなく広い心と大きな愛は、私にとって若いころからの最も大切な宝でした。これからもそうあり続けます。私のみならず、エル・システマのオーケストラのメンバーたちに、アバド氏は家族のように真摯な愛と、限りない教えを与えてくれたのです。エル・システマを代表して申し上げます――私たちのマエストロ、クラウディオ・アバドの魂とその感化はこれからも私たちと共にあることを信じ、とこしえに私たちの演奏を捧げます」



2005年から2010年にかけて、アバド氏は定期的にベネズエラを訪れた。最後にシモン・ボリバル交響楽団を指揮したのは2010年。ルツェルン・フェスティバルで2回のコンサートを行い、このコンサートは、世界中のテレビ局で何度も放送された。アバド氏について最も印象的だったのは、2009年、聴覚障がいを持つ児童が白い手袋をはめて“合唱”するホワイトハンド・コーラスが、その白い手袋を氏に贈呈した時である。アバド氏は、エル・システマの一部であるこのベネズエラの特別な教育プログラムにインスピレーションを受け、イタリアでの取り組みを推進した。








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原文(スペイン語)はこちらでご覧いただけます。

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