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1938年8月25日、トリープシェンで指揮をするトスカニーニ。
ルツェルン・フェスティバルがスタートしたのは1938年。この年の8月25日に、ルツェルン郊外のトリープシェンにあるワーグナーのかつての住まいの庭で、発案者のひとりアドルフ・ブッシュに要請されたトスカニーニが、ナチスから逃れてきた音楽家たちによる混成オーケストラを指揮したのが始まりとされる(このオーケストラが、現在のルツェルン祝祭管弦楽団につながるわけだが、現行のルツェルン祝祭管が結成当時からアルバン・ベルクのメンバーや、ハーゲン、そして現在はライプツィヒと、弦楽四重奏団をメンバーとして組み込んでいるのは、この38年の音楽祭スタート時にオケ結成の中心となったブッシュ四重奏団を意識しているためだろう)。
第2次大戦勃発で1940年の音楽祭は中止され、翌年再開。同音楽祭にデビューし、スイス祝祭管を指揮するフルトヴェングラー。1944年。
スイス祝祭管を指揮するカラヤン。1949年 。
したがって今年2013年は、ルツェルン・フェスティバルの75周年に当たる。そのため、同音楽祭の誕生日である8月25日は、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、コンセルトヘボウ管らのメンバーによる各室内楽や、ルツェルン祝祭管(LFO)ブラス・アンサンブル、マーラー室内管、ルツェルン音楽祭アカデミー管、ジャック四重奏団、今年のアルチスト・エトワール(特集音楽家)に選ばれたグルービンガーの公演、さらには映画など全30公演(+枠外扱いの3公演も)が、朝11時から夜21時までに催されるというスペシャルな1日となった。
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KKL最上階から75周年祭の開始を告げる、ルツェルン祝祭管ブラス・アンサンブルによるオープニング・ファンファーレ
75周年祭KKL前特設ステージ。グルービンガーの公演準備中
75周年祭KKL前特設ステージ
期せずしてその日はザルツブルク音楽祭でのN響デビューが重なっていたが、そちらには日本からの取材も多く駆けつけるということで諦め、筆者はルツェルンに専念。これら膨大な公演の内、子供向けのシュトックハウゼン《ティアクライス》、パブロ・エラス=カサド指揮マーラー室内管(ベートーヴェン第5交響曲)、ロバートソン指揮アカデミー管メンバー(ライヒ《砂漠の音楽》)、同じくロバートソン指揮アカデミー管(メシアン《トゥーランガリーラ交響曲》)、LFO(モーツァルト&ロッシーニ)を聴いた。最後のルツェルン祝祭管は、残念ながらアバドは登場せず、前半の《フルートとハープのための協奏曲》では、刈り込んだ小振りな編成のオケをソリストのジャック・ゾーン(ズーン)がリードも兼務して演奏。後半の《アルジェのイタリア女》序曲では、この1曲のために他のLFOメンバーもごっそりとステージに登場し、同管でアバドのアシスタントを務めているグスターボ・ヒメノ(コンセルトヘボウ管の打楽器奏者でもある)が指揮を担当した。
さて、この25日の75周年祭の他にも、今夏の同音楽祭では刮目すべきプロジェクトが用意されていた。ジョナサン・ノット&バンベルク交響楽団による、リヒャルト・ワーグナーの超大作《ニーベルングの指環》全曲上演である。
ルツェルンは、ワーグナーが一時(1865~72)居を構え、《トリスタンとイゾルデ》や《ジークフリート牧歌》などを完成させたゆかりの深い地。冒頭でも触れたトリープシェンの住居は、現在はワーグナー博物館とされ、この街の観光名所のひとつとなっている。正直なところ、博物館自体はリノヴェイションも施されていることもあってそれほど魅力を感じるようなものではないのだが、その裏手に広がる湖畔の風景は素晴らしく美しいので、ルツェルンへご旅行の際はその景色を観に是非一度足を運んでいただきたい。鉄道駅からバスで約10分、遊覧船では20分弱で行けるし、その気になれば徒歩でも可能(博物館は原則月曜休館なのでご注意を)。
カラヤン。ルツェルンの湖畔浴場リドにて。
トリープシェンのフェリー乗り場
ワーグナー博物館(www.luzern.com)
博物館からの眺め
話を戻そう。そういうわけで、ルツェルンの街や音楽祭にとっては、ワーグナーはきわめて特別な作曲家なのである。アバド&祝祭管が2003年の結成披露コンサートで《ヴァルキューレ》の〈ヴォータンの告別と魔の炎の音楽〉を選び、その後もLFOだけでも翌04年に《トリスタンとイゾルデ》第2幕、05年《トリスタン》~〈前奏曲と愛の死〉、11年《ローエングリン》第1幕への前奏曲と頻繁に採り上げているのは、この作曲家と街との関係を重視したゆえに他ならない。
そして今年は音楽祭の75周年のアニヴァーサリーということで、満を持してワーグナーの作品の中でも最大の規模を誇る《ニーベルングの指環》が選ばれたわけだ。これだけでもスペシャル感十分だが、それだけではない。上述したようにルツェルンとワーグナーは深い関係にありながら、実はこれまでに“リング”4部作がこの地で一挙上演されたことはなく、今回が同地初演というビッグ・プロジェクトでもあったのだ。
その大任をまかされたのは、かつてルツェルン交響楽団の首席指揮者を務め(1997~2002)、地元では馴染みの顔でもあるジョナサン・ノットと、彼が現在首席指揮者を務めるバンベルク交響楽団。
ジョナサン・ノット
ノットのオペラ、殊にモーツァルトやワーグナー好きは有名で、バンベルク響とは、就任初シーズンの2001年1、2月《ジークフリート》から、2004年1月《ヴァルキューレ》、2007年3月《ラインの黄金》と、約3年に1作ずつ地元で《リング》を採り上げてきた。07年の《ライン》は、同年夏のルツェルン音楽祭でレジデントを務めた際にも上演している(ちなみに、2005年には《トリスタンとイゾルデ》もエジンバラ音楽祭で披露していた)。《神々の黄昏》は、それから少し時間が空き、2013年前の2月に採り上げられたものだ。
今回の全曲プロジェクトは、2011年に打ち合わせた際に、ノットが《指環》のいずれかを提案したところ、音楽祭インテンダントからせっかくなので全曲にと勧められて決まったとのこと。結果、歌手陣も、バイロイトの常連や、近年評価が高く話題となっている充実の顔触ればかりを揃えた豪華な企画となった。
各公演はどれも演奏会形式で、奥のオルガン席の前にドイツ語のみの字幕が用意されていた。また、幕毎にそれぞれ1時間の休憩が挟まれるので、75周年祭の時と同じく、KKL前の広場には多数のテーブルと椅子が置かれ、パスタやソーセージ、ピッツァ(その場で生地から焼いてくれる)などの軽食や飲み物の出店が並び、そちらも盛況。休憩時間にはオーケストラのメンバーも出てきて、一緒に楽しんでいた。
以下、各公演での様子をごく簡単に。
◆《ラインの黄金》(8月30日)
コントラバスとホルンのペダルトーンの上にゆっくりとホルンが重ねられてゆく冒頭から素晴らしいサウンドが広がる。それもそのはず、バンベルク響のホルン・セクションには、ルツェルン祝祭管のメンバーでもあるハスコ・クレーガー(Hasko Kröger)や、2005年のミュンヒェンARDで第3位に入り、07年にはプラハの春コンクールでも優勝したクリストフ・エス(Christoph Eß)らが所属しており、優秀さは折り紙付き。彼らの織りなす響きを楽しみながら、ノットは手首を使って、円を描くような指揮で、次第に生成してゆく「世界の揺籃」の音楽を盛り上げてゆく(ハプニングとしては、ノットは第1幕第1場のラインの乙女3名が去った時点で、譜面台にぶつけたのか指揮棒を折ってしまい、この日は最後まで棒なしで指揮することに……)。
ラインの乙女たち:左からマルティナ・ヴェルシェンバハ(ヴォークリンデ)、ウルリケ・ヘルツェル(ヴェルグンデ)、ヴィクトーリア・ヴィジン(フローシルデ)
歌手たちは歌う直前にステージに順次登場。演奏会形式ではあるが、各々シンプルな演技(所作)を付けて歌う。
アルベルト・ドーメン(Albert Dohmen)演ずるヴォータンは堂々としつつもやや甘い声が特徴。対するアルベリヒ役のヨハネス・マルティン・クレンツレ(Johannes Martin Kränzle)は実に声量豊かで演技力も十分。時に目を見開き、狂気に取り憑かれたかのように顔や声色など巧みに表情を付けており、ラストの恨み節など迫力満点だった。ミハイル・ペトレンコ(Mikhail Petrenko)のファーフナーも存在感のある声。第4場で仲間割れし、ファーゾルトを倒した際の捨て台詞「An die Reif rührst du nicht mehr!」では「du」に強いアクセントを利かせ、狂気と残忍さを表していた。
左から、トマ・ブロンデル(フロー)、ミーガン・ミラー(フライア)、エリーザベト・クルマン(フリッカ)、ミハイル・ペトレンコ(ファーフナー)、クリストフ・ステフィンガー(ファゾルト)、アドリアン・エレート(ローゲ)
そのような中で、彼ら以上に演技巧みだったのがローゲ役のアドリアン・エレート。飄々とした風情でセミ・ステージ張り、あるいはそれ以上に舞台上を広く歩き回って芝居を付けるので、ノットがキューを出す際に彼の場所を見失いかけるほどで(歌手たちは、客席奥にノットを見るモニターが設置されているので指揮者を背にしても問題はない)、多彩な声色を駆使するのと相俟って、聴衆をおおいに魅了していた。
歌以外では、鉄床を叩く音をマイクを通してホールの左右、上からも鳴り響かせていたのが効果的だったこと、また、KKLのアクースティクのよさもあって、〈ヴァルハラ城への神々の入城〉の開始部で、弦楽器が後ろのプルトから順にアルペッジョで入ってくる際の味わいが特に素晴らしかったことを記しておきたい。ヴォータンが歌う時には、背後の座席奥やオルガン席がライトアップされ、虹をわたって入城する様子を表現。エンディングでのオーケストラによるスケールの大きさも見事だった。
なお、07年の《ラインの黄金》と共通するキャストとしては、ファゾルト役のクリストフ・シュテフィンガー(Christoph Stephinger)が唯ひとり出演していた。
◆《ヴァルキューレ》(8月31日)
今回ひときわ注目されたのがこの回。それもそのはず、今や飛ぶ取り落とす勢いを誇るクラウス・フローリアン・フォークト(Klaus Florian Vogt)がジークムント役としてフィーチャーされていたためで、26日までバイロイトで《ローエングリン》があったことから、直前まで「本当に来るのだろうか? キャンセルするのでは?」と根拠のない憶測も流れていたほど。
ミーガン・ミラー(ジークリンデ)とクラウス・フローリアン・フォークト(ジークムント)
他の歌手陣は、《ラインの黄金》でフライアだったミーガン・ミラー(Meagan Miller)がジークリンデとして、ファーフナーだったミハイル・ペトレンコはフンディング、マルティナ・ヴェルシェンバハ(Martina Welschenbach)はヴォークリンデからオルトリンデにそれぞれチェンジ。ヴォータンやフリッカ(エリーザベト・クルマン Elisabeth Kulman)はそのまま変わらずに務めた。
エリーザベト・クルマン(フリッカ)とアルベルト・ドーメン(ヴォータン)
フォークトへの期待は、ステージに登場する前からひしひしと伝わってくるようで、あの輝かしい声を最初に聴かせた瞬間、客席は釘付けに。
ブリュンヒルデ役は、ルツェルン音楽祭の常連となりつつあるペトラ・ラング(Petra Lang)が担当。彼女もフォークトとともにバイロイト《ローエングリン》から(役はオルトルート)。ラングは「Hojotoho」の最後の跳ね上げも凄まじく、パワフルさは圧倒的。
ペトラ・ラング(ブリュンヒルデ)
その他では、気が強く気位が高いフリッカを演ずるクルマンの歌唱と演技の確かさや、夢にとらわれ迷妄するジークリンデの様子などが強く印象に残る(中でも、プロジェクト全体を通じてのクルマンの素晴らしさは特記しておきたい)。オーケストラも実に雄弁で、聴き応え十分。ラストは、ローゲ召還を演出して、ステージ奥が赤く照らし出された。
カーテンコールでは、まずフォークト、次いでクルマン、ラングへの拍手が強く鳴り響いていた。
エリーザベト・クルマン
なお、第2幕で戦いの呼び声を表すシュティーアホルンは、バンダとして2階の両サイドに置かれ、アンティフォン的な呼び交しの効果を演出。その内、下手側では当時アカデミーで学んでいたトロンボーン奏者の吉田なを美さんが担当していた(吉田さんは、《黄昏》でも同楽器を担当)。
◆《ジークフリート》(9月2日)
ジークフリート役に起用されたのは、8月28日のバイロイト最終公演《タンホイザー》を終えて駆けつけたトルステン・ケルル(Torsten Kerl)。しかしながら、勢いよく登場したものの、どこか単調さが否めず声の伸びもいまひとつ。曲が進んでも好転する気配がなく、むしろ次第に不調がまざまざと感じられるようになっていった。逆にミーメ役のペーター・ガリヤール(Peter Galliard)やオーケストラがとても好調にスタートしたのと対照的だった。
案の定、最初の休憩が空けると、第2幕が始まる前にインテンダントが登場し、ケルルの喉の調子が悪いこと、しかし最後まで出演することが伝えられた。
そして第2幕。第1場は設定場面が森の奥であることを示すためだろう、ステージ奥はグリーンのライトが当てられていた。この回から、アルベリヒはペーター・シドーム(Peter Sidhom)に交代。声質・声量ともによく、またさすらい人(アルベルト・ドーメン)との言い争いなどかなり演技を付けて歌うので見応えもある。
ファーフナー(ミハイル・ペトレンコ)にはマイクを使用。これは声量の問題ではなく、洞窟にいる様子を演出していたのだろう。
第2場でケルルが登場するも、ミーメが去った後の歌唱で音程が一瞬ふらついたりとやはり調子は悪い。
葦笛を吹くジークフリートを描いた調子外れのコーラングレが過ぎると、続くジークフリートが角笛を吹くシーンでは、ステージかみ手に角笛役のホルニスト(クリストフ・エス)が立ち、ひと節毎に前に進み出てくるという演出がとられていた。その後のファーフナーとの闘いでのオーケストラは迫力十分。
第3場はまさに声と演技合戦といった様子で、ここでも特にミーメの芸達者振りが際立っていた。
第3幕ではオーケストラの雄弁さに比べ、中心的な2名がやや聴き劣りする。とはいえ、ケルルは第2幕で温存していた分、なかなかに力強さや張りを発揮。しかしながら、やはりラストに向けて次第に不調さが隠しきれず、不安定さが露呈してしまっていた。ブリュンヒルデ役のエーヴァ・ヨハンソン(Eva Johansson)もあと一歩というところ。
◆《神々の黄昏》(9月4日)
悪い予感が当たり、3日の時点でケルルが降板。急遽代役として呼ばれたのはアンドレアス・シャーガー(Andreas Schager)である。彼は2012/13シーズンにはバレンボイムとベルリン州立歌劇場やスカラ座、プロムスで(、さらには2014年2月にアンドレアス・ヘニング Andreas Henning指揮ハレ歌劇場でも)この役を歌うことになっているように、作品に精通した適役である。
アンドレアス・シャーガー(ジークフリート)とアナ・ガブラー(グートルーネ)
第1幕。ステージ奥はグリーンのライトに照らされてスタート。ノットはやや速めのテンポで進める。休憩時に楽団員に聞いたところ、2月の公演やプローベよりもかなり速めだったそうだ。プロジェクトのラストということで気合いが入り過ぎたためか。
シャーガーは、全編にわたって力強く、かつ輝かしく高らかに声を鳴り響かせ、さらに彼自身の持ち前の明るいキャラで、陽気で天真爛漫なジークフリート像を感じさせる。しかしながら、さすがに急の依頼だったためか、第3幕第2場の出番の最後になって暗譜があやしくなってしまい、ノットにキューを求めたり、歌詞が出てこなくなって背後の字幕を見ながら歌いつつ、結局1度は間違えて落ちてしまったりも。今後予定されているラジオ放送の際は、ここを修正するかどうかが気になるところだ。
シャーガーとミハエル・ナジ(グンター)
第3場では、ラング(ブリュンヒルデ)の独擅場。やや鋭めの声で、迫真の歌唱を聴かせていた。背景は〈自己犠牲〉で赤に染まり、最後にハーゲンが去った後にはそれも消えて、オルガンとポディウム席が下から白色で明るくライト・アップすることで浄化の様子を演出していた。
終演は23時3分。その後のカーテンコールは15分ほど続いた。
オーケストラは、特に《ジークフリート》の半ば以降、そしてこの《黄昏》では、疲れのせいもあってか、細かな事故が少なからず見られたが、トータルとしてはシンフォニックな厚みのあるサウンドで、素晴らしく充実した演奏を聴かせてくれた。
各作品はどれも相当に時間を費やしてプローベを重ねてきたそうだが、日頃オペラを一切採り上げないシンフォニー・オーケストラなので、様々な点でさぞかし大変だったことだろう。
ノットは、そのようなパートナー(=オーケストラ)を相手に、4作ほぼ全編にわたり歌手とともに歌いながら、エネルギッシュに指揮。千手観音張りの指示を繰り出して、大奮闘を見せた。ただ、作品に対する思いが大きいこともあってか、いささかキューが多過ぎるのでは?と感じる部分も多々あった。作品を完全に管理したがるのは彼の特徴だが、全体を掌握しつつもオーケストラに任せる部分は任せ、よりのびのびと呼吸させることは今後の課題だと思う。
オーケストラ・メンバーに話を聞くと、音符の多さ、曲の長さに骨が折れたのはもちろんだが、音量バランスが難しかったとのこと。ダイナミックな音楽に沿った大きな音は簡単に出せるが、歌手に合わせての弱音をキープし続けるのがなかなかに問題で、人数も多く、気持ちが入り過ぎたりするとすぐに大きくなってしまう、と語っていた。けれども、その努力は十二分に報われた内容で、記念碑的な公演だったと思う。
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なお、《ラインの黄金》は演奏会当日、スイス放送協会ドイツ語チャンネル(Radio SRF 2)によってライヴ中継されていたが、その再放送および残りの《ヴァルキューレ》《ジークフリート》《神々の黄昏》は以下の日程でラジオ放送される予定である。数年越しに準備された彼らの力作を是非お聴きいただきたい(放送開始時刻はすべて現地時刻)。
《ラインの黄金》12月19日 22時00
《ヴァルキューレ》12月22日 21時00
《ジークフリート》12月26日 20時00
《神々の黄昏》12月29日 21時00
→ 詳細
[参考:海外紙公演評]
新チューリヒ新聞(Neue Zürcher Zeitung)
イン・フランケン
バーデン新聞(Badische Zeitung)
松本學(音楽評論家)
2013.09.27