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<存在があまりに圧倒的で、子供の頃は「怖い」とさえ感じました>
――(焦)ポゴレリッチさんがベートーヴェンの作品だけを集めてリサイタルを行うとは、珍しい試みですね。早速ですが、あなたにとって作曲家ベートーヴェンとはどのような存在なのか、お聞かせいただけますか?
(ポゴレリッチ)実父がベートーヴェンを尊敬していましたから、おのずと私も、幼い頃から敬愛していました。ベートーヴェンのオーケストラ作品から私が受けた衝撃がどれほどのものであったかは、言葉で言い表せません。その存在はあまりに圧倒的で、子供の頃の私は「怖い」とさえ感じました。初めてベートーヴェンの作品をピアノで演奏した時には、さらなる畏敬の念におそわれたものです。
さて、日本でも演奏するベートーヴェン・プログラムについてお話ししましょう。冒頭にピアノ・ソナタ第8番「悲愴」を置きましたが、この曲を初めて弾いたのは9~10歳位の時でした。手がついていけなかったことを覚えています。曲はすぐさま好きになりましたが、当時の私の演奏技術では、こうした難曲は弾ききれなかったのです。当然、満足のいくような演奏はできず、その後40年以上もの間、この作品とは距離を置いていました。このエピソードは、ベートーヴェンという存在がピアノを学ぶ子供や若者にとっていかにセンシティヴであるかということを示しています。好意は持てても、簡単に壁に直面してしまう作曲家なのです。
<作曲家を島に例えるなら、ベートーヴェンは「大陸」でしょう>
――ポゴレリッチさんはかつてベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタ(第32番)を演奏し世界を驚愕させました。以来、あなたのレパートリーには少しずつベートーヴェンの作品が加わっています。ベートーヴェンの作品を習得するということについて、何か体験談をお話いただけますか?
ベートーヴェンのピアノ曲はあまりに複雑なので、公の場で演奏するのはとても難しいのです。それはベートーヴェン自身が作曲家として、またひとりの人間として複雑であったからでしょう。彼は才能がありすぎて、やることなすこと、全てにおいて完璧でした。優れた即興の技術で聴衆を驚愕させてしまう高次元のヴィルトゥオーゾでしたし、例えば、その場で与えられたテーマを即興で用いて、聴衆の目の前で変奏曲を作ってしまうような天才でした。チェロやヴィオラなど、ピアノ以外の楽器も演奏できました。彼の功績は、ひとつの大陸の様なものでしょう。もしも様々な作曲家たちを美しい島々に喩えるなら、ベートーヴェンの島は大陸と同じ程に大きい、という意味で。
私自身は、これまで常にベートーヴェンを演奏してきましたし、半年に一度はベートーヴェンを1~2曲、プログラムに組み入れています。ただ、今回日本で演奏する「熱情」ソナタを弾こうと決心したのは比較的、最近です。
――なぜ「熱情」の演奏に取り掛かるまでに長い時間を要したのでしょうか?コンクールや音楽学校の試験でもおなじみの作品ですから、これまでも演奏のチャンスはあったのではないかと想像します・・・。
確かにそうですね。多くのピアノ学習者、プロのピアニストたちが、何らかの段階に達した時に挑む作品ですから。
私の場合、コンサートやCDで何度聴いても――聴くのを辞めてみても――「熱情」の本質がさっぱり分からなかったのです。「なぜこの音楽がありのままに弾かれる時、これほど美しいと感じられるのか?」という私自身の謎めいた問いに、答えを見出したい。それが私の関心の的でした。その答えを、ついに何年か前につかんだのです。それは、ベートーヴェンのソナタの楽譜を自宅の書斎で開き、ピアノに触れることなくそれを見た時でした。私の目は突然、第1楽章の2ページ目の、第一主題と第二主題をつなぐ素材に釘付けになりました。何か実に魅力的なものに遭遇してしまったのです。ソナタから、もっと見つめてほしいと誘われたような感覚をおぼえました。何度も何度も楽譜を見返したあとで、ようやくピアノでこれを弾く決心をしました。そんなわけで、非常に長い時間がかかったのです。4年ほど前の夏の、長い期間だったと記憶しています。長い時間をかけて、このソナタを理解し演奏するには、過去の知識や以前に耳にしたこと全てを忘れる必要があると悟りました。このソナタはまるで迷宮のように私を見つめました――作品自体はとても良く知っているはずなのに、現実の感覚では完全に未知の世界だったのです。それが、この作品への取り組みの始まりでした。
――12月の日本でのリサイタルでは、ソナタ第23番「熱情」の前後に書かれた第22番と第24番も取り上げますね。
ええ、そうです。「熱情」を勉強する前に、前後の2曲のソナタを習得していたことは幸運でした。まるで何らかの鍵を与えられ、パズルを解くように促されたような感覚でした。第22番と第24番のソナタはいずれも、2楽章から成ります。この共通点は、3つのソナタの重要なファクターとして理解できると思うのです。[訳注:「熱情」は3楽章から成るが、2・3楽章が続けて演奏されるため、2楽章制のソナタとも解釈できる] ヴィルトゥオジティ(超絶技巧)があれほど高い境地にまで押し進められている偉大な「熱情」が、2楽章から成る比較的短いソナタ2つに囲まれています。そこで何より明らかなのは、ベートーヴェンがこの3つのソナタを作曲した当時、すでにきわめて高いレベルでピアノという楽器の可能性を把握していたということです。
<最初の一音を発する前にさえヴィルトゥオジティの存在が察せられるべき作品、「熱情」>
――多くの人がソナタ第23番「熱情」に魅了されますが、第24番がとても難しい作品であるということを意識している人は少数ですね!
同感です。これまで私が演奏してきたあらゆる音楽と比べても、第24番のソナタほど楽譜を読み込むのに苦労した作品はありません。とりわけ適切な指使いや手の動きを見出すという点において。また、このソナタを通して、ベートーヴェンのピアノ書法が当時、どれほど時代の先を行っていたのかがありありと理解することができました。もちろん、ベートーヴェンが血の通った哲学者として精神的に進歩していたこともこの曲から伺えます。
そして私は、「熱情」とはヴィルトゥオジティが存在する作品であり、最初の一音を発する前にさえ、その存在が察せられるべきであるということを学びました。ベートーヴェン自身は、この作品を書いた当時、ヴィルトゥオジティにおいて右に出るものはいませんでした。それはのちの時代や現代でも言えることでしょう。そういう意味でも私は先ほど、他の作曲家たちがそれぞれ島に喩えられるなら、ベートーヴェンは大陸だ、と述べたのです。
<ソナタ第22・24番は奇想天外な実験的作品>
――一方、ソナタ第24番は作曲家ベートーヴェンにとっての新しい出発点でもありました。彼は過去には無かった何か全く新しいものを生み出した芸術家といえますね。
いくつかの資料によれば、ベートーヴェン自身が第24番のソナタを気に入っていたそうですよ。それが真実であるかはさておき、確実に言えるのは、第24番は想像的な精神が遍在する作品、奇想天外な実験的作品だということです。第22番にも同様のことが言えます。彼はのちに出現する「映画」に非常に似たアプローチを行っているのではないでしょうか。いかなる「間」もおかずに、おのおのの音楽素材が、まるで連続する映像が変化を形成していくように提示されているという意味で。ごく短い音楽要素が互いに緊密に関係づけられ、それがどちらの楽章でも意外な効果を生み出しています。驚くべきは、ユーモアがやがて標題音楽の比喩的表現の一部を担うようになる前の時代に、このソナタではすでに、ユーモア――私たち人間が種として持つ長所――が表現されています。さらに驚くべきは、素材の濃縮です。つまり、あまりにも多くの音の情報が、2つのごく短い楽章の中に圧縮されているのです。それこそが、力強く、そして長く続く“精神の爆発”を形成しているのです。
<様式へのアプローチにも変化を導入したベートーヴェン>
――ところで、第22番のソナタが軽視されているのは本当に残念ですね。独特で、魅力的な発想に満ちた作品です。
おっしゃる通りです。ベートーヴェン以後、全ての時代、全ての地域の全ての作曲家が、この第22番の影響を受けています。例えばシューマンは、リズムとハーモニーの点で第22番を参考にしています。「トッカータ」がその例ですね。ブラームスの全ピアノ作品も、両手が対等に扱われているという点において、第22番の影響下にあります。ラフマニノフやグラナドス、そして20世紀のあらゆる才能ある作曲家にも、同様の指摘ができます。ベートーヴェンと同じ方法でピアノ作品を書けるものは、もはや皆無でしょう。なぜなら第22番のソナタは、ピアノの全鍵盤を駆使し、それ以前には存在しなかった高い域のヴィルトゥオジティに到達しただけでなく、様式へのアプローチにも変化をもたらしたからです。例えば、第22番の第1楽章は厳密に言えばメヌエットではありませんが、「メヌエット」という表記が、この曲の時間感覚やテンポ、性格、あるいは精神を理解できるよう導いてくれます。これは言い換えれば、フォーム(形式)を超える、ということですね。ベートーヴェンがその例を示したのちに、他の作曲家がこれに追随したのだと思います。
<今の自分にはより多くの解決策と選択肢があります>
――ポゴレリッチさんの今回のベートーヴェン・プログラムでは、難易度の高い作品ばかりが選曲されていますね。こうしたプログラムを準備し終えた今、どのような想いをお持ちですか。
このプログラムは、ベートーヴェンの表現の幅の広さ、私たちの想像を超える程の多様性、そして尽きることのない“発明の才”を象徴していると思います。それは元々、私のプログラミングの目標・目的であったわけではなく、むしろ結果として生じたことです。プログラミングをした時を振り返ってみると、それはまるで、ピアノ、さらに広い意味で音楽という山を登っているような体験でした。その間、音楽が適切に、しかし同時に心地よく流れるように、正しい動作を模索していました。何十年も前、10歳の私がこの演奏困難な作品に向き合っていた頃と同じように、自分が出くわしてしまった巨大な作品を前にして、目先の物しか見えないような感覚に陥りました。当時と現在の唯一の違いは、今では自分の手中に、より多くの解決策があるということです。自分の中にあるオプションが以前よりも増えているということですね。それでもなお、全精神と指10本をフル活用しないと扉は開きません。しかしその扉が開いた時、その向こうには想像を超える驚くべき世界、気高く美しい世界が広がっています。芸術家は体験したその世界を、聴き手に伝えることになるのです。
<全ソナタは、独自の言語を話し独自の歌を唱う、全く異なる32人のよう>
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