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ルツェルンからブクレシュティ(ブカレスト)へ
ルツェルンでノット指揮バンベルク響による《神々の黄昏》の演奏が終わったのが、9月4日の深夜23時3分(バンベルク響によるルツェルン・フェスティバルでの「指環」全曲演奏については、後日レポートする)。
筆者は翌5日の夜に予定されているルーマニア・ジョルジェ・エネスク音楽祭でのパーヴォ・ヤルヴィ&パリ管弦楽団のコンサートに向かう都合で7分発の列車に乗るつもりだった。会場のKKLは中央駅に隣接しているので、移動自体は十分可能なのだが、しかしカーテンコールを最後まで見届けるためにそれを断念、終わって外に出た時には既に20分を回るところだった。
7分発の列車に乗りたかったのは、ルツェルン中央駅からのチューリヒ空港行き最終列車だったからである。それ以降のルツェルン発は、手前のチューリヒの中央駅までしか行けない。パリ管公演に間に合うためには、翌5日のエア・ベルリンの早朝6時25分のフライトに乗らねばならない。だが、ルツェルン中央駅の始発は4時55分発、空港着は6時13分で、間に合わない。したがってチューリヒ中央駅まで行き、そこで数時間待機して空港行きの始発に乗るという方法を選択したのだが、到着してぶらぶらしていたところ、この駅は終電が終わると閉鎖されることが判明。結局、旧市街のバーで時間を潰し、5時1分の空港行き始発に乗って空港に向かった。
飛行時間は、ベルリン経由で約4時間弱という短さ。ちなみにチューリヒからスイス航空で直行すれば、所要時間は僅か2時間15分、出発時刻も正午でちょうどよいのだが、その分運賃は10倍ほど跳ね上がる。
なお、ルツェルン→チューリヒ空港行きには別の手もあることはある。夜中3時にルツェルンを発車し、5時にチューリヒ空港に着くという深夜バス(Flügbus)がそれで、料金は列車の約3倍の40CHFである。ご参考まで。
写真1 音楽祭会期中のブクレシュティ(=ブカレスト)の様子
というわけで、ルーマニアの首都ブクレシュティ──英語読みではブカレストだが、地元の発音ではこう呼ばれるので、ここではそれに合わせる──に無事(?)到着。ホテルではなくこの街に多いレンタル・アパートメントにチェックインし、夜のパリ管公演を待つのみとなった。
写真2 パリ管が演奏したホールの外観。昼間の様子。
5日の公演は、今回の来日公演でも演奏されるサン=サーンスの交響曲第3番を中心に、ベルリオーズの序曲《海賊》とブリテンのヴァイオリン協奏曲(独奏:ヴィルデ・フラング)というプログラム。
会場となるサラ・パラトゥルイ=宮殿ホール(Sala Palatului、もしくは大ホールという意味を付加してサラ・マーレ・ア・パラトゥルイ=Sala Mare a Palatuluiとも)は、音楽祭のメイン・ホールで、建てられたのは1960年。共産主義期の建立だが、チャウシェスク治世下(1967~89)よりも前のルーマニア人民共和国時代の建築である。座席数は実に4,060。何とも巨大なホールで、大きさゆえに後方に音が届きにくいのは想像に難くないが、その他に、座席フロアと外部を仕切る内側の仕切りが、いわゆる“ドア扉”ではなく厚手のカーテンなので、余計に音を吸ってしまうのも気になった。見た目の雰囲気としては昭和の日本の映画館のような感じといえばよいだろうか(若い世代には逆にわかりにくい?)。
写真3 サラ・パラトゥルイのロビー
ちなみに公演がかち合ったり、室内オーケストラやバロックものなどの小編成のコンサートは、すぐ近くにあるAteneul Român(アテネウル・ロマン)が使用される。ルーマニア・アテネ風神殿ホール、あるいはルーマニア芸術ホール、とでも訳したらよいだろうか。こちらはずっと歴史ある建物で、オープンは1888年(92年に修復されたようだ)。趣ある外装に、赤を基調とした実に美しい内装を誇る。席数は794。先に小編成用と書いたが、音楽祭シーズンは引きも切らず団体がやってくるので、ガフィフガン&ルツェルン交響楽団やマッツォーラ&イル=ド=フランス管などはこちらに割り振られていた。後者など、ラヴェルの《ダフニスとクロエ》までやったので、席数の1割以上がステージに乗っていたことになる。
写真4・5 アテネウル・ロマンの外観と内装
話をパリ管に戻そう。
最初のベルリオーズでは、急速部のあの細かな走句を輝かしいサウンドで一糸乱れぬ鮮やかさで弾き切り、対する柔らかな部分も洗練された味わいを聴かせていた。管楽器もこのオケらしく積極的で輝かしい。ブリテンではソリストにもう一歩踏み込みが欲しかったが、それでも十分にすぐれた演奏だったと思う。
この日、最も素晴らしかったのはやはりサン=サーンス。冒頭の弦の刻みも正確で、その後のとりわけ緩徐楽章での美しさは格別。第1楽章後半ポコ・アダージョに入る前の弱音部分での、テンポを抑えて創造される独特の神秘的な世界や、各所で聴かせる柔らかくビロードのようなサウンドなど、日本公演でも多くのファンを魅了することだろう。もっぱら管が讃えられるフランスではあるが、このオーケストラの弦、特にヴァイオリン・セクションも特筆すべき美観を持っていると思う(こういっては何だが、あの会場のアクースティクにもかかわらずそう思わせたのだから、余計にそう感じる)。
写真6 拍手に応えるパーヴォ・ヤルヴィとパリ管
この日の難をいえば、オルガンだ。会場にパイプ・オルガンがないのは仕方ないとして、用意された楽器はサウンドもいまひとつで、ステージ両サイド最前に置かれたスピーカーを通されてかなりの音量で鳴らされるので、バランスなどあったものではない(筆者の席からは楽器自体は見えず)。また、オルガニストがオケよりも僅かに早く演奏する傾向があり、特にラスト近くではオケの“タメ”に対応できず、大きなズレが生ずることがあった点は残念だった。その直前のプロムス公演では好評だったようなので、この日だけのことなのだろう。条件のよい日本公演では、きっと息の合った名演を聴かせてくれる筈だ。
翌6日は、エネスクの交響曲第1番と、やはり来日公演で採り上げられるプロコフィエフの交響曲第5番のカップリング。前半のエネスクは、さすがのパリ管も手探り感がありありで、コンマスの入りも含めて特に打楽器セクションなど危うい箇所も散見されたが、トータルとしてはさすがの集中力で乗り切っていた。この日のみの特別な選曲で、後にも先にももう弾かない可能性が高い作品なので、無理もないのかも知れない。
後半のプロコフィエフは、切れのある演奏で、オーケストラのポテンシャルがよく発揮されていた。クラリネットを強調したり、ある箇所で大きくブレーキをかけたりもするので、こちらもコンサート会場で聴くのを楽しみにしていてほしい。
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最後に、このエネスク音楽祭のことを少し紹介しておきたい。まず何よりも圧倒的なのは、この音楽祭に参加したアーティストたちの豪華さだ。
写真7 サイン会に応じていたアントニオ・パッパーノ
写真8 リサイタルを行ったラドゥ・ルプー
パリ管のみならず、バレンボイム&シュターツカペレ・ベルリン、ホーネック&ピッツバーグ響、パッパーノ&サンタ・チェチーリア管、ユロフスキ&ロンドン・フィル、ヤノフスキ&ベルリン放送響(《リング》全曲)、ビシュコフ&ミュンヒェン・フィル、ヤンソンス&コンセルトヘボウ管、オラモ&ロイヤル・ストックホルム・フィル、プレトニョフ&ロシア・ナショナル・フィル、リットン&ロイヤル・フィルなどといったオーケストラに、ルプーやペライア、ブフビンダー、ツァハリアス、キーシン、ベレゾフスキー、ラベック姉妹、サイ、ル・ゲ、ユジャ、ムローヴァ、カヴァコス、レーピン、ヴェンゲーロフ、ラクリン、ハーン、バティアシュヴィリ、メネセス、モルク、クニャーゼフ、ゴーチエ・カプソン、サヴァール、ミンゲ四重奏団、ヴィトマン、おまけに映画界からジョン・マルコヴィチと、ビッグ・ネームが綺羅星のごとく登場した(日本からは大友直人&ハーモニアス室内管が参加)。
写真9・10 カーテンコール中の大友直人
これだけの豪華なメンバーを集め、さらにオペラ(エネスクの《オイディプス王》、ヴェルディ《オテロ》、モンテヴェルディ《オルフェオ》、ヘンデル《アレッサンドロ》など)ありダンスあり、さらにコンテンポラリーの企画も行われるのである(これでもかなりの名前を省略しています)。
写真11・12
当然公演数も多く、1日に複数回が行われる。ある日(9月7日)などワークショプも含めると全8公演もあり、その翌日は全5公演で朝の11時から深夜の2時半までかかった時もあった。さらに、ブクレシュティだけでなく、トランシルヴァニア地方の最西部にあるティミショアラや同地方南部のシビウ、北部のドロホイ、北西部のクルジュ=ナポカ、南西のクラヨーヴァ、モルダヴィア地方のヤシ(北東部)などのルーマニア国内の各地でもいくつか公演がもたれる。
出演者リストからは、よくも悪くもこの派手さがいかにもホーレンダー(エネスク音楽祭芸術監督)らしい気もするが、それにしても2年に1度とはいえ、どうしてこれが可能なのか。たまたま知り合った政治家に尋ねてみると、国として再び復興するために文化政策にも力を入れており、音楽祭の経費の1/2を拠出しているからとのことだった。残りは1/4がメセナ、1/4がチケット売り上げだそうだ。そのチケットは最高額が80RON、つまり2,500円弱で、最低額がオーケストラやオペラの場合45~70RON=1,200~2,200円である。ただし、これを見て即座に安いと思うのは我々海外からの者であり、現地の方たちの平均月収を考慮すれば、彼らにとってこの価格は必ずしも激安というわけではない(ルーマニアの平均月収は700RON=約22,000円弱、首都ブクレシュティのそれはルーマニア国内で最高とはいえ、その倍程度に過ぎない)。
それでも、どの公演も毎回ほぼ満杯の聴衆で賑わっていたのは、動員や招待もあるだろうが驚きだった。
写真13
もうひとつ、ブクレシュティの名誉のために記しておきたい。様々なところで治安の悪さが喧伝されるこの街であるが、少なくともコンサート会場の周辺は言われているほど危険とは感じなかった。旧市街はすっかり再建されて、新宿や六本木の繁華街さながらに飲食店が軒を連ねている。確かに到着直前の9月2日に公園で4歳の子供が野犬に襲われ命を落としたというニュースがあったが、今回筆者が動いた場所に限っていえば、それらしい野犬は殆ど見かけない。もちろん相当数が存在はしているのは事実なので、充分に気を付けるべきだが、過敏になってこの国を避けるのもつまらないと思う。
地元の人たちに何人も治安について尋ねてみたが、年々改善されてきているし、よくしようともしており、今ではもう危険ではないと話していた。ただし、タクシーだけはまだ危ないとも付け加えていたので、その点はご注意を。
文・写真(6・8を除く):松本學
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2013.12.18
2013.09.27