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2012/11/14 |

★ポリーニ・パースペクティヴ―― 「ベートーヴェン-シャリーノ」を聴いて

ポリーニ・パースペクティヴ2012」5日目・・・ポリーニが出演するのはこれで最終回!いよいよベートーヴェン生涯最後の3つのソナタ(第30番op.109、第31番op.110、第32番op.111)です。これまでにも増して、客席の高揚感と緊張感をひしひしと感じます。

そして今日のポリーニがステージに登場する様子は、マエストロがこれまでの3回よりも格段に元気なことをうかがわせてくれました。びりびりと覇気を感じます。最初の第30番の叙情的な一音目から精彩があふれ、張りや輝きが違っていて、今日はスロースターターではありません。そしてその音にはさらに一段とくっきりとした輪郭があり、意志がこもっていました。・・・私も3回目までは色々な意味で、今のポリーニのピアノには後期ソナタの形而上的で霊的な世界が相応しいと思っていたのですが、半分は当たってて、半分は違っていた、という感じです。こんなにリアルな意志や力強さをここで触れることになるとは思っていなかったので。

そう、力強かったのです。前述のタッチなど物理的なことから精神的なことまでひっくるめてその演奏が、その音楽が。 むしろパースペクティヴ初日、2日目の中期ソナタ群の演奏より確固たるものになっていたのは不思議です。どうしてでしょう?今回の後期ソナタの3曲は、2年前に同じ3曲を弾いた時より、今度はむしろ楷書的になっていた気さえします(ところで前回は3曲連続で、袖に引っ込まずに弾いていましたが、今回は1曲1曲ステージから引き上げていました)。
決して“雰囲気”に逃げず、どんな超一流ピアニストにとっても複雑な部分でも安全策(?)をとってテンポを落とすようなこともせず、とにかく攻めることをやめない底知れないエネルギーは一体どこから出てくるのでしょう?
(もっともあまりにも“攻める”ので、時折勢い余ってあれっ?という部分もあるにはありましたが・・・)

巨人の音楽の巨人の演奏、この世に2つとない偉大な音楽の偉大な演奏だった、と言って許していただける当夜だったと思います。

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ところでそう書いていくとちょっと誤解されそうな気もするのですが、力づくで荒かったわけでは決してなく、むしろ息詰まる集中力の中で、むしろ音の冴えも微妙、精妙を極め、増していたくらいです。高音域の、雪のようにキラキラとした澄みきった輝きたるや! それだからこそ、第31番の「嘆きの歌」のカンタービレの息遣いとか、第30番第3楽章や最後の第32番のフィナーレのトリルが天に昇っていくあたりなどは、光と輝きに満ち溢れた天上の国へ来てしまったような、胸のしめつけられる至福感がありました。
ベートーヴェンの創作の歩みを通じ、人の精神は苦闘し、浄化し、最後にはこんな風に勝利を収められるものなのか・・・と思ってしまったくらいです。深淵の中に何か一縷の希望の光を見いだせたような。
自分の中にも熱いものがこみあげてしまいました。

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ところで話が前後してしまいましたが、前半に演奏されたイタリアのサルヴァトーレ・シャリーノの新作、「謝肉祭」第10、11、12番。これは「出たな、シャリーノ!」という思い。(あくまで私の感覚です。すみません)
他では聴けない彼独特の音響の魔術です。声か器楽の音か区別がつかなくなったり、静かな進行の中(ちょっと長かったですね・・・)、独創的にブレンドされた、混ざらされた先鋭的な音が出たり入ったりします。すごく不思議な感覚・・・。

先日のラッヘンマンの曲と並び、的確に選択された音色や表現がある秩序を作り、全体として独創的な新しい世界が現れる、という驚きの、恐らく最先端の体験?
そしてこれもマンゾーニ、ラッヘンマンの時と同様、最高の演奏でなければ曲の真価は本当にはわからない、という基本が証明された気がします。クラングフォーラム・ウィーン、シュトゥットガルト・ニュー・ヴォーカル・ソロイスツの噂に違わぬ実力と、それを統制する指揮のチェッケリーニ、そしてポリーニの息子ダニエレのピアノの音(基本的に、音の冴え方がこんなに父親に似ているとは!)が、作品をよりよく聴かせてくれました。

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そして今日はいよいよ「ポリーニ・パースペクティヴ」最終日。
このシャリーノの「12のマドリガル」が、シュトゥットガルト・ニュー・ヴォーカル・ソロイスツのア・カペラによって日本初演されます。
声をまたどんな風に使って、どんな音色にして驚かしてくれるのか、とても楽しみです。

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