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2012/11/05 |

★ラドゥ・ルプー来日!名古屋公演レポ

レコーディングもインタビューも一切しない幻の大ピアニスト、ラドゥ・ルプーが来日中です。
一昨年2010年に9年ぶり来日をしましたが、京都で1公演終えた後、急病で帰国、本格的なツアーは実に11年ぶりになります。
ツアー2日めの、名古屋・しらかわホールでの公演を聴きました。

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今日のプログラムはすべてシューベルトの作品。16のドイツ舞曲、即興曲D935、そしてソナタ第21番(シューベルト生涯最後のソナタ)です。
ステージに登場したルプーはでっぷりとしたお腹(失礼!)と、ポケットに手を入れたりして、自然体で悠々とした様子が既にそこらのピアニストとは明らかに違う巨匠の雰囲気を醸し出しています。白いもじゃもじゃの髪と髭の風貌と相まって、ブラームスみたい。
通常のピアノ椅子ではなく、ホールにあったアンティークの家具のような椅子に座り(パイプ椅子を使うことがよくある)、演奏している姿も、上体をピアノから離し、腕と指ですべてを自由にコントロールしているような無理のない弾きっぷり。

そうして紡ぎだされるタッチは深く、音色が実に不思議な移ろいかたをします。霧の向こうから夢のように遥かな音が聴こえてきたり(「千人に一人のリリシスト」というかつての異名を思い出します)、決然とした強大なフォルテが繰り出されたり、大変に多彩な幅の広さです。
ポリーニが大理石のような硬質で澄み切った音を素材に、音楽を見事に「建築」「彫刻」するのとはまったくスタイルが違い、ルプーは身体の中から出てくるものがそのまま「音色」となり、「音楽」となり、その精神がダイレクトに響きと化すよう。そしてそれはどこか内省的で、悲しみの彩りが浮かぶのが印象深いです。(こうした違いは「違い」であって、上下をつけるような問題ではないことは言うまでもありません)

私が心を強く動かされたのは、このルプーのピアノ音楽の在りようが、そのままシューベルトの音楽であるように実感できることです。何か夢を見ているような、時間も空間も現実のそれとはまったく違う次元に存在するような・・・。「夢の国」?「魔法の国」?

ところでルプーの音楽の作り方について、ちょっと一歩ひいて客観的に眺めてみますと、ツアー・プログラムの中でも濱田滋郎さんが書いていらっしゃいますが、全体の演奏設計も強度で、独自性がある人だなあ、と興味深く思います。
(それはポゴレリッチのようにエキセントリック?なわけでもなく、ドイツ人の構築性、フランス人の数学的な感覚、イタリア人の造型性とも違った感じ)
それと相まって、ある楽想から違う楽想への移り変わりが実にスムーズだったり、逆に鮮やかな変転のコントラストを見せたり、その自然さがまた強く印象に残りました。

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こうして最後のソナタは、果たして忘れ難いものになりました。長いソナタです。それゆえに虚心に余裕をもって弾いているように見えるルプーでも、これだけの集中力を保つのは容易ではなかったようで、終楽章では少し傷が多かったのが残念といえば残念。しかしこのことは多分蛇足というもので、この深く救いようのない悲しみの音楽が、どうしてこのように美しく響くのか?美しければ美しいほどどうしようもなく胸がしめつけられるように苦しくなり、しかもそこにほのかなあたたかい慰めのような光まで帯びて響くさまは、他に想像もできません。

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まもなく東京公演です。
しかし11/8東京オペラシティでのシューベルト・プロは(申し訳ないのですが)ソールド・アウト・・・。11/13の同ホールでのフランク、シューベルト、ドビュッシー(前奏曲集第2巻)の方は、まだ若干チケットが残っています。
このルプーの音色から想像すると、ドビュッシーはまた大変なことになりそうな気がします。

どうぞご期待下さい!


チケットのお申し込み (11月13日 東京オペラシティ公演)

ラドゥ・ルプー プロフィール

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