東京・サントリーホールでは「
ポリーニ・パースペクティヴ2012」が反響をよびつつ進行中。
昨夜の「シュトックハウゼン――ベートーヴェン」公演にご来場くださった皆さま、有難うございました。
さて、初日(10/23)公演を成功の裡に終え、ほんのひとときのオフ・タイムのポリーニに、音楽学者の岡部真一郎さんがインタビューを行いました。
これは、今まで当ブログで公開しました動画インタビュー(
こちら)や、公演プログラムに掲載したインタビューの、いわば「続き」、補完編で、ベートーヴェン演奏における「テンポ」の問題について、など、より一層深い部分に話の歩を進めています。
ぜひ、じっくりお読み下さい。
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── 初日(10/23)の演奏会、素晴らしかったです。
ポリーニ(以下、P):ファンの方に、「マンゾーニが最高だった」と言われたけど、どういう意味だったんだろう?(笑)
── まさか、ポリーニさんのベートーヴェンより良かったってことですか?(笑) それだけ、マンゾーニを取り上げて、今回、新作の「Il rumore del tempo」を日本で紹介できたことが良かったということだと思います。つまり、ポリーニさんの意図が、直接、聴衆に伝わった、というわけですよ。大成功、おめでとうございます。(笑)
P:ありがとう。(笑)
── 実際、マンゾーニ作品もとても良かったですね。ピアニストとしてアンサンブルに加わったニコラス・ホッジスも見事だった。
P:彼は優れたピアニストですね。とても広いレパートリーを持っていて、マンゾーニの録音なども行っていると聞きました。マンゾーニ自身も、とても気に入っているようです。
── そして、ポリーニさんがお弾きになったベートーヴェン。先ほどの話はある種、笑い話的エピソードですけれど、私は、この夏、ルツェルンやザルツブルクで聴かせていただいたリサイタルにも増して、大きな感銘を受けました。もちろん、ポリーニさんは、長年、一貫してベートーヴェンに取り組んで来られていますし、私自身も70年代からずっと聴かせていただいているわけですが、もし、こういう言い方をさせていただけるなら、近年、より大きく、そしてより自在な音楽が生まれてきているようにも思います。先日の演奏会では、それを改めて実感しました。ご自身でもやはり、ベートーヴェンへのアプローチには何らかの変化があるとお考えですか?
P:そうですね。永年の経験の中で、変わってきている部分も当然あると思います。
── エディションの問題については、どうお考えですか? ポリーニさんは現在もヘンレ版をお使いですよね。以前、児島新校訂版(春秋社刊)のソナタ集を差し上げたこともありましたが、児島先生は早くにお亡くなりになり、全集は未完のままになってしまいました。
P:様々な問題はあるにしても、やはりヘンレ版がスタンダードだと思います。
── ベートーヴェンの楽譜には、実にいろいろな議論がありますね。それらのなかでも、もっとも大きなトピックの一つが、メトロノーム記号についてです。夏のルツェルンでは、ゆっくりお話を伺うゆとりがありませんでしたが。
P:そうでしたね。ベートーヴェンのメトロノーム記号には、多くの問題があります。《第9交響曲》などでも、それは顕著です。私は、この問題を考える鍵は柔軟性であると思っています。ヴァーグナーに始まり、フォン・ビューローやニキッシュ、そしてフルトヴェングラーに受け継がれて行った伝統、それは、ベルリン・フィルがそのまま継承しているものとも言えますが、そこには、「ベートーヴェンの音」についての一つのかたちがある。それは言わば、ドイツの音楽の伝統です。ハーモニーに対する感覚とともに、そのもっとも重要な要素となっているのが、テンポの柔軟性、一つの楽章の中でのテンポの幅なのです。
── ヴァーグナーは、ベートーヴェンの指定をどう考えていたのでしょうか?
P:彼は、ベートーヴェンの書き記した指定には、あまり配慮をしていなかったと思われます。ヴァーグナー自身が、《タンホイザー》において、メトロノーム記号を巡って、意図を理解してもらえなかったという嫌な経験をしていたからです。だからこそ、ベートーヴェン自身も同様な思いをしていたに違いないと考え、メトロノーム記号には重きを置かなかった。
── もちろん、楽譜に書かれた通りをストレートに守る、という態度も余りに頑に思えますが、全く無視してしまうというのも、極端ですね。
P:ベートーヴェンやヴァーグナー以外にも、いろいろな作曲家に同様の問題があります。
── 例えば、ストラヴィンスキーなど・・・。
P:ヴェルディの例もありますね。ストラヴィンスキーに関して言えば、彼の指定は正確だと考えて良い。ヴェルディについても、トスカニーニの例などを見ても、正しかったと考えられる。一方、ヴァーグナーについては疑問が残るし、ブーレーズについても、単純に正しいとは言えません。
── そういうなかで、ベートーヴェンの指定を考えるわけですね。
P:ドビュッシーの証言などもあります。彼はパリで数多くのベートーヴェン作品の演奏を聴き、極端に誇張をすることはもちろん誤っているが、それでも、より自然なテンポを見出す必要がある、と述べています。だからと言って、彼自身の作品について、テンポの指定は当てにならない、と考えてしまうのは短絡的に過ぎますが、一方で、例えば《前奏曲集第1巻》第1曲の〈デルフィの舞姫〉など、ドビュッシーの演奏は自分で楽譜に書いた指定とは違っています。
── 単純に書かれていることを見るだけでは、本質を掴めないということですか?
P:そう、ベートーヴェンについても、同じようなことがあり得ると考えてみようということです。例えば《第9》の第1楽章、そして続く第2楽章のスケルツォを見ると、ベートーヴェンの指定には、明確で絶対的な関連性があることがわかります。そして、スケルツォは、概ね、どんな指揮者が振るテンポもこの指定にほぼ一致しますが、一方、第1楽章は、指定通りだと非常に速くなってしまう。速過ぎる。そこで、どうしてこのような指定がなされているのか、という謎を解く必要が出て来る。これについては、ブーレーズの発言が興味深いと思います。彼は、ストラヴィンスキーの《結婚》とヴェーベルンの《第2カンタータ》を例に出して、どちらの作品も、作品の各部分のテンポには極めて緊密な関係性があると指摘した上で、《結婚》では、ストラヴィンスキーの指定に厳格に従う必要があるが、一方、ヴェーベルンでは、その関係性を相対的なものととらえることが重要だ、と述べています。恣意的な解釈ということではありません。作曲家による指定をしっかりと受け止めた上で、自分の音楽に移し替えて行くということですね。私は、このようなアプローチが、ベートーヴェンについても重要だと考えています。
── 興味深いお話、ありがとうございました。これからの演奏会も、とても楽しみにしています。
(10月28日夕方 東京にて)
-ポリーニ・パースペクティヴ2012-
◆11月7日 (水) 19:00 開演
[ベートーヴェン ― ラッヘンマン]
ラッヘンマン:弦楽四重奏曲第3番 「グリド(叫び)」
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 op.101
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」
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詳細・チケットのお申込み◆11月13日 (火) 19:00 開演
[ベートーヴェン - シャリーノ]
シャリーノ: 謝肉祭 第10番「震えるままに」/第11番「雨の部屋」/
第12番「弦のない琴」[ルツェルン・フェスティバル委嘱作品・日本初演]
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ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op.109
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op.111
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詳細・チケットのお申込み⇒
ポリーニ・パースペクティヴ2012 特設サイト